丹下健三自邸とは|成城に建った、ピロティの上の日本の住まい

丹下健三自邸の外観

丹下健三自邸は、建築家の丹下健三が1953年、東京・世田谷区の成城に建てた自宅です。

ピロティで持ち上げた2階に、ふすまで仕切られた畳の部屋を並べるという構成で、ル・コルビュジエの近代建築と日本の伝統建築を一つにまとめた住宅として語り継がれてきました。

建物はすでに現存しませんが、模型や再現の試みを通して、今も繰り返し紹介されています。

成城に建った、塀のない家

自邸が建ったのは、成城の住宅地の一角、約300坪の敷地だったとされています。敷地の周りには塀が設けられず、道路とのあいだは土を盛った築山と植栽で隔てられていました。

住宅地で塀を立てないという判断は、当時としても珍しいものでした。閉じた壁で囲うのではなく、地形と緑で緩やかに境界をつくる。敷地全体が庭のように開かれ、その中に建物が持ち上げられて建つという構図です。

1953年といえば、丹下が広島平和記念公園の計画に取り組み、戦後日本を代表する建築家としての歩みを始めていた時期です。自邸は、その丹下が自らの暮らしで日本の近代住宅のかたちを試した場でした。

ピロティで持ち上げた2階

自邸の最大の特徴は、建物を柱で持ち上げ、暮らしの中心を2階に集めたことです。1階は柱が並ぶ開かれた空間で、地面は庭へと続いていきます。

建物を柱で持ち上げるピロティは、ル・コルビュジエが 近代建築の5原則 の筆頭に掲げた手法です。

丹下はコルビュジエを深く研究した建築家で、若いころに雑誌で見たコルビュジエの作品に強い影響を受けたことが知られています。

ただし丹下自邸のピロティは、白いコンクリートの柱ではなく、日本の木造の架構として実現されました。コルビュジエの原則を、日本の材料と大工の技術で翻訳したものといえます。

模型と写真で読む丹下自邸

現存しない丹下自邸を知る手がかりは、竣工当時に建築雑誌に掲載された写真と図面、そして近年つくられた模型です。写真には、柱の上に水平に伸びる床と屋根、その下に広がる開かれた地面が写し出されています。

「建築の日本展」で展示された3分の1の模型は、木の架構を細部まで再現し、柱と梁の組み方や、ふすまで区切られた2階の部屋の構成を立体的に理解できるものとして注目を集めました。

図面を見るときは、1階の柱の並びと2階の部屋の区切りがどう対応しているかに注目すると、構造と間取りが一体で考えられていることがわかります。

柱の規則的なリズムの上に、柔らかく変えられる部屋が載っているのが、この住宅の構成です。

畳の部屋とふすま、浮かぶ屋根

丹下健三自邸のピロティと2階の構成を示した解説ダイアグラム

2階には畳敷きの部屋が並び、部屋と部屋はふすまで仕切られていました。ふすまを開け放てば、いくつもの部屋がひとつながりの広い空間になる。

日本の伝統的な住まいの柔らかな間仕切りが、そのまま生かされていたのです。

屋根は軽く、柱の上に浮かぶように見えたと伝えられます。持ち上げられた床と、その上に浮かぶ屋根。水平の線が強調された外観は、近代建築の軽やかさと、日本の木造建築の水平性が重なったものでした。

室内には、イサム・ノグチの照明「AKARI」や、画家の猪熊弦一郎による寝椅子が置かれていたとされます。建築家、彫刻家、画家の交流が、この家の室内にも表れていました。

桂離宮とル・コルビュジエ

丹下自邸の高く持ち上げた床は、京都の桂離宮の高床を思わせるものとして、しばしば語られてきます。

桂離宮は、ドイツの建築家ブルーノ・タウトが1930年代に高く評価したことで、近代建築の目から見た日本の伝統建築の代表例になりました。

丹下自身も、のちに桂離宮を論じた書籍に関わるなど、日本の伝統建築を近代建築の言葉で読み直す仕事を重ねています。自邸は、そうした関心が最も早く、最も身近な形で表れた作品のひとつと見ることができます。

コルビュジエのピロティと、桂離宮の高床。西洋の近代建築と日本の伝統が、どちらも「床を持ち上げる」という点で出会ったところに、この住宅の独自性があります。

丹下とコルビュジエの関係は コルビュジエと丹下健三 で詳しく紹介しています。

失われた自邸と、再現の試み

丹下自邸は現存しません。それでも、この住宅は日本の近代住宅を語るうえで繰り返し取り上げられてきました。

2018年に森美術館で開かれた「建築の日本展」では、3分の1の大きさの模型が制作・展示され、話題を集めました。

さらに、自邸を原寸で再現する計画も進められています。2025年には、神原・ツネイシ文化財団による再現計画のプレ展示が、ひろしま国際建築祭2025の一環として、広島県福山市の神勝寺などで開かれました。

失われた住宅が、模型や再現によってふたたび体験できるようになる。建物は失われても、図面と記録が残れば、建築は受け継がれることを示す例でもあります。

1950年代の日本と、建築家の自邸

丹下自邸が建った1953年は、戦後の復興が本格化し、日本の建築家たちが新しい時代の住まいのかたちを模索していた時期でした。

限られた資材の中で、小さく合理的な住宅をどう実現するかが大きな課題だったのです。

同じ1950年代には、池辺陽や増沢洵、清家清らが小住宅の名作を次々と発表し、建築家の自邸が新しい住宅の考え方を示す場になりました。

丹下自邸は、そうした流れの中で、日本の伝統と近代建築の統合という大きなテーマに正面から取り組んだ例として注目されました。

広い敷地に建つ丹下自邸は、小住宅の名作とは条件が異なります。それでも、柱と梁の明快な架構、ふすまによる可変の間取りといった手法は、同時代の住宅と多くの問題意識を共有していました。

のちの丹下建築につながるもの

丹下自邸で試された柱で持ち上げる構成や、柱と梁による明快な架構は、その後の丹下の公共建築にも受け継がれていきます。

広島平和記念資料館はピロティで持ち上げられた建物で、その下を人が通り抜け、平和の軸線へと導かれます。

香川県庁舎では、コンクリートの柱と梁で、日本の木造建築を思わせる水平の表現が試みられました。

自邸で木造によって追求した「近代建築と日本の伝統の統合」を、丹下は公共建築の規模でコンクリートによって展開していったのです。

その意味で丹下自邸は、単なる建築家の住まいではなく、丹下建築の原型を小さな規模で試した場所だったといえます。現存しないからこそ、模型や写真、図面を手がかりに、その構成を読み解く価値があります。

丹下健三の住宅として

丹下健三の作品というと、国立代々木競技場や東京都庁舎、香川県庁舎 といった大規模な公共建築が思い浮かびます。自邸は、その丹下が残した数少ない住宅の代表例です。

同じ時代の建築家の自邸としては、菊竹清訓の スカイハウス(1958年)も、建物を持ち上げた住宅として知られます。

また、コルビュジエに学んだ前川國男の 前川國男邸、吉阪隆正の ヴィラ・クゥクゥ と並べると、コルビュジエの影響を受けた日本の建築家たちが、それぞれどんな住まいをつくったかがよくわかります。

丹下の言葉と思想については 丹下健三の名言 でも紹介しています。

再現計画の今後の予定は、財団や関係する美術館の案内で発表されています。失われた名作住宅を、もう一度体験できる機会として、最新の情報を追いかけてみてください。

模型や再現を見る機会があれば、ピロティの下に立ったときの天井の高さと、2階に上がったときの庭の見え方の違いに注目すると、床を持ち上げたことの意味が体で理解できるはずです。

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