軽井沢の山荘とは|吉村順三が森の中に浮かべた木の家を断面で読む

軽井沢の山荘の外観

「軽井沢の山荘」は、建築家の吉村順三が1962年に長野県軽井沢町の森に建てた、自分と家族のための山荘です。

打放しコンクリートの1階に、板張りの木造の2階を載せるという単純な構成でありながら、日本の住宅建築を語るうえで欠かせない一軒として、図面や写真で繰り返し紹介されてきました。

現在も個人の所有で、一般公開はされていません。

森の斜面に建つ、自分のための山荘

住宅情報サイトの連載によれば、山荘の延床面積は竣工時で87.7平方メートル。1990年に約40平方メートルが増築されました。大きな別荘ではなく、家族が過ごすための小さな山荘です。

敷地は木々に囲まれた斜面にあります。建築家が自分のために建てた住宅は、施主の要望や予算の制約が少ない分、その人の考え方がはっきりと現れます。

軽井沢の山荘も、吉村順三が「住宅とは何か」を自分の暮らしで確かめた実験の場だったといえるでしょう。

外から見ると、コンクリートの台の上に木の箱が載り、西に傾いた大きな片流れ屋根がかかっています。形は素朴ですが、材料の使い分けと高さの設定に、この建物の要点が詰まっています。

下はコンクリート、上は木

1階はコンクリートの打放し、2階は板張りの木造です。

湿気の多い森の地面から、木造の居住部分を離すための構成と説明されることが多く、傷みやすい木を地面から持ち上げるという、日本の気候に即した合理的な判断です。

同時に、この材料の切り替えは見た目にも効いています。重いコンクリートが地面に根を張り、その上に軽い木の箱が浮かぶ。下半分と上半分で性格がはっきり分かれることで、建物全体が森の中で落ち着いて見えます。

近代建築の教科書でいえば、建物を柱で持ち上げる ピロティ の考え方に近いものです。ただし吉村は白い柱ではなく、打放しの壁と木の箱という、手ざわりのある材料でそれを実現しました。

軽井沢という土地と、近代の山荘

軽井沢は、明治時代に外国人宣教師らが避暑地として見いだし、別荘地として発展した町です。夏も涼しく、霧が多く、湿度が高いという気候は、住宅の設計に独特の条件を与えます。

湿気に強いつくりと、短い夏を森の中で気持ちよく過ごすための開放性。この二つを同時に満たすことが、軽井沢の山荘に求められる課題でした。

地面から離したコンクリートの台と、その上の木の箱という構成は、その課題への明快な答えになっています。

軽井沢には、レーモンドの夏の家をはじめ、近代の建築家による別荘が数多く建てられてきました。そのなかで吉村の山荘は、派手さのない簡素な姿のまま、長く手本とされ続けてきたという点で際立っています。

断面で読む:居間を木々の高さに置く

軽井沢の山荘の断面構成を示した解説ダイアグラム

この山荘は、平面図よりも断面図で見たときに設計の狙いがよくわかる建物です。主な居間を2階に置くことで、窓の外に見えるのは地面ではなく、木々の枝と葉になります。

森の中に建つというより、森の中ほどの高さに住まう、という感覚です。

西に傾く片流れ屋根は、2階の室内に高いところと低いところをつくり、天井の高さそのものが部屋の性格を分けています。

屋根の傾きと窓の高さ、床のレベルを合わせて読むと、外の景色がどの高さで切り取られるように計画されているかが見えてきます。

「軽井沢の山荘 図面」「断面」といった言葉で調べる人が多いのは、この住宅が実務者にとって断面計画の手本になっているからでしょう。

限られた面積でも、高さの操作で空間の質は大きく変えられることを、この山荘は教えてくれます。

ピロティにつくられた小さな暖炉

1階のコンクリート部分は、閉じた部屋ではなく、外に開いたピロティとして使われています。住宅情報サイトの連載は、南側のピロティのコンクリート壁に、四角く掘り込んだ小さな暖炉があることを紹介しています。

雨をしのげる屋外の居場所に火を置く。それだけで、ピロティは単なる床下の空間から、人が集まる場所に変わります。

建物を持ち上げてできた下の空間を、駐車や通路ではなく「居場所」として設計した点に、住まい手としての吉村の目が表れています。

同じ考え方は、近代建築の巨匠たちも試みてきました。地面を建物に奪われた場所ではなく、人のための場所として残す。その発想を、森の中の小さな山荘の規模で、しかも温かみのある形で示したのが軽井沢の山荘です。

レーモンド事務所で学んだ建築家

吉村順三は、1930年代に建築家アントニン・レーモンドの事務所で実務を学びました。

レーモンドはフランク・ロイド・ライトとともに来日し、その後日本に事務所を構えて、日本の近代建築の土台をつくった人物です。

レーモンドが軽井沢に建てた「夏の家」(1933年)は、ル・コルビュジエの未完の住宅計画「エラスリス邸」を下敷きにしたことで知られます。

同じ頃、コルビュジエのアトリエから帰国した前川國男もレーモンド事務所に在籍していました。軽井沢という土地には、コルビュジエの思想が日本に届いた経路のひとつが刻まれているのです。

前川が戦時下に建てた自邸は 前川國男邸 で紹介しています。木造でモダニズムを成立させたという点で、軽井沢の山荘と並べて読むと理解が深まります。

小さな面積で豊かに暮らすための寸法

軽井沢の山荘は、竣工時の延床面積が約88平方メートルでした。家族が過ごす山荘として、決して余裕のある広さではありません。

それでもこの住宅が長く手本とされてきたのは、面積の大きさではなく、寸法の適切さで心地よさをつくっているからです。

天井の高さ、窓の大きさと位置、手すりや建具の寸法は、人の体と森の景色の両方に合わせて慎重に決められていると評されます。部屋を必要以上に大きくしないことで、暖房の効率が上がり、家族の距離も近くなります。

吉村順三は、住宅の設計で人が実際にどう座り、どこを見て、どう動くかを重視した建築家として知られています。

図面を見るときは、部屋の広さよりも、窓の下端の高さや天井の傾きに注目すると、その考え方が読み取れます。

吉村順三の仕事と、この山荘の位置

吉村順三は、東京藝術大学で教えながら、多くの住宅と公共建築を手がけました。代表作には、奈良国立博物館の新館や、愛知県立芸術大学のキャンパスなどがあります。

国際文化会館の設計にも、前川國男、坂倉準三とともに参加しました。

大きな建物を手がける一方で、吉村は生涯を通じて住宅の設計を大切にしました。軽井沢の山荘は、自分のために建てたからこそ、吉村の住宅観がもっとも純粋な形で現れた作品といえます。

近代建築の手法である「持ち上げる」「開く」を使いながら、日本の気候と木の文化に寄り添わせる。その姿勢は、同じ時代にコルビュジエの影響を受けた建築家たちが、それぞれの方法で追い求めたものでもありました。

見学について

軽井沢の山荘は、現在も個人が所有する住宅で、一般公開はされていません。敷地に立ち入ったり、周辺で撮影したりすることは控えてください。

この山荘を知るには、建築専門誌の図面や写真、書籍の記録をたどるのが確かな方法です。とくに断面図と2階の平面図を並べると、居間の高さと窓の関係がよく読み取れます。

実際に建物の中を歩いて木造モダニズムを体験したい場合は、東京・小金井の江戸東京たてもの園に移築された前川國男邸が公開されています。

また、ほぼ同じ時代の住宅としては、コルビュジエの弟子・吉阪隆正の ヴィラ・クゥクゥ が予約制で見学できます。

軽井沢の山荘が今も多くの人に参照されるのは、特別な技術や高価な材料によってではなく、土地の気候と人の暮らしを丁寧に読み取った結果として生まれた住宅だからです。

図面を一枚ずつたどりながら、その判断の積み重ねを追体験してみてください。

近代建築の名作をめぐったら、その原点にも触れてみてください。ル・コルビュジエの作品世界を一望できる美術展公式の作品集と、代表作のポストカードセットをご紹介します。

コルビュジエ作品集【美術展公式ガイドブック】

美術館公式グッズ

コルビュジエ作品集【美術展公式ガイドブック】

136点の作品・写真を収録した美術展の公式ガイドブック。B5変形・192ページ。

3,300円 (税込・送料無料)

商品ページを見る >
コルビュジエ ポストカード6枚セット

美術館公式グッズ

コルビュジエ ポストカード6枚セット

ロンシャンの礼拝堂や牡牛シリーズなど人気6作品を高精細印刷で。約10×15cm。

900円 (税込・送料330円)

商品ページを見る >