出雲大社庁の舎(ちょうのや)は、菊竹清訓が1963年に出雲大社の境内に完成させた社務のための建物です。稲掛けを思わせるコンクリートの大架構は戦後日本建築の代表作と評され、国内外で高く評価されました。そして2016年、保存を望む声が寄せられるなか、解体されて失われました。いまは写真と記録でしか会えない建築です。
神域に近代建築を建てるという難題
敷地は出雲大社の境内。日本でもっとも古い神社建築の伝統が支配する場所です。ここに鉄筋コンクリートの現代建築を置く。木造の社殿を模倣すれば嘘になり、無関係な箱を置けば神域を壊す。
菊竹の答えは、形を借りずに、農と祈りの風景を借りることでした。参照されたのは社殿ではなく、刈り取った稲を干す稲掛け(はさ掛け)の姿だったと語られています。出雲の田園で誰もが見てきた風景を、コンクリートの架構に翻訳したのです。
稲掛けのかたちをしたコンクリート
建物の主体は、プレストレストコンクリートの大梁を長手方向に架け渡した架構です。あらかじめ鋼材で圧縮力を与えたコンクリート部材は、通常では不可能な長いスパンを一息で飛ばせます。
屋根まわりには斜めの部材が律動的に並び、遠目には巨大な稲掛けが立っているように見えました。最新の構造技術で、最も土着的な風景を描く。この逆説がこの建物の発明でした。
大架構がつくる一室空間
大梁がスパンを飛ばすため、内部は柱の少ない伸びやかな空間になりました。社務・参拝者対応・宝物の展示といった用途を、ひとつの大きな屋根の下に収めています。
細かく部屋を割らず、大架構でまず空間をつくり、中身は後から変えられるようにしておく。この考え方は、同時代のミースのクラウンホールとも響き合います。海の東西で同じ時期に、「器を強く、中身を自由に」という答えが選ばれていたことになります。
スカイハウスと同じ設計思想
菊竹清訓は、自邸スカイハウス(1958年)で、変わらない骨格と取り替え可能な設備を分ける考え方を実践し、メタボリズム運動の中心人物になりました。
庁の舎も同じ思想の上にあります。永く残る大架構と、更新される内部。伊勢や出雲の式年遷宮に通じる「作り替えながら続く」という日本的な持続の観念を、菊竹は現代の技術で言い直そうとしていました。メタボリズムの系譜は中銀カプセルタワーもあわせてご覧ください。
保存の願いと、2016年の解体
庁の舎は老朽化と雨漏りなどを理由に建て替えが決まり、2016年に解体されました。国内の建築団体や海外からも保存を望む声が寄せられましたが、覆りませんでした。
戦後日本の名建築は、いま次々と姿を消しています。菊竹の弟子筋にあたる黒川紀章の中銀カプセルタワーも2022年に解体されました。高度成長期の建築が更新期を迎え、保存の仕組みが追いついていない。庁の舎はその象徴的な事例です。
失われた建築から学べること
建物は失われましたが、この設計が示した問いは残っています。伝統の場所に現代の技術でどう応えるか。形の模倣ではなく、風景の翻訳という道があること。
同じ問いに取り組んだ建物として、丹下健三の香川県庁舎(木造の構成をコンクリートで再現)、村野藤吾の世界平和記念聖堂があります。菊竹のもうひとつの実験は坂出人工土地とあわせてご覧ください。

