出雲大社庁の舎|失われた菊竹清訓の代表作

出雲大社庁の舎の外観

出雲大社庁の舎(ちょうのや)は、菊竹清訓が1963年に出雲大社の境内に完成させた社務のための建物です。稲掛けを思わせるコンクリートの大架構は戦後日本建築の代表作と評され、国内外で高く評価されました。

そして2016年、保存を望む声が寄せられるなか、解体されて失われました。いまは写真と記録でしか会えない建築です。

基本データ
名称出雲大社庁の舎(ちょうのや)
所在地島根県出雲市、出雲大社の境内
設計菊竹清訓(1928〜2011年)
竣工1963年
構造プレストレストコンクリートの大梁を長手方向に架け渡した架構
用途社務所(事務・参拝者の応対・宝物の展示など)
現在2016年に解体され、現存しない

神域に近代建築を建てるという難題

敷地は出雲大社の境内。日本でもっとも古い神社建築の伝統が支配する場所です。ここに鉄筋コンクリートの現代建築を置く。木造の社殿を模倣すれば嘘になり、無関係な箱を置けば神域を壊す。

菊竹の答えは、形を借りずに、農と祈りの風景を借りることでした。参照されたのは社殿ではなく、刈り取った稲を干す稲掛け(はさ掛け)の姿だったと語られています。

出雲の田園で誰もが見てきた風景を、コンクリートの架構に翻訳したのです。

稲掛けのかたちをしたコンクリート

両端の支持と中央の大スパンを示した架構の解説ダイアグラム

建物の主体は、プレストレストコンクリートの大梁を長手方向に架け渡した架構です。あらかじめ鋼材で圧縮力を与えたコンクリート部材は、通常では不可能な長いスパンを一息で飛ばせます。

屋根まわりには斜めの部材が律動的に並び、遠目には巨大な稲掛けが立っているように見えました。最新の構造技術で、最も土着的な風景を描く。この逆説がこの建物の発明でした。

大架構がつくる一室空間

大梁がスパンを飛ばすため、内部は柱の少ない伸びやかな空間になりました。社務・参拝者対応・宝物の展示といった用途を、ひとつの大きな屋根の下に収めています。

細かく部屋を割らず、大架構でまず空間をつくり、中身は後から変えられるようにしておく。この考え方は、同時代のミースのクラウンホールとも響き合います。

海の東西で同じ時期に、「器を強く、中身を自由に」という答えが選ばれていたことになります。

スカイハウスと同じ設計思想

菊竹清訓は、自邸スカイハウス(1958年)で、変わらない骨格と取り替え可能な設備を分ける考え方を実践し、メタボリズム運動の中心人物になりました。

庁の舎も同じ思想の上にあります。永く残る大架構と、更新される内部。伊勢や出雲の式年遷宮に通じる「作り替えながら続く」という日本的な持続の観念を、菊竹は現代の技術で言い直そうとしていました。

メタボリズムの系譜は中銀カプセルタワーもあわせてご覧ください。

保存の願いと、2016年の解体

庁の舎は老朽化と雨漏りなどを理由に建て替えが決まり、2016年に解体されました。国内の建築団体や海外からも保存を望む声が寄せられましたが、覆りませんでした。

戦後日本の名建築は、いま次々と姿を消しています。同じメタボリズムの仲間、黒川紀章の中銀カプセルタワーも2022年に解体されました。高度成長期の建築が更新期を迎え、保存の仕組みが追いついていない。

庁の舎はその象徴的な事例です。

菊竹清訓という建築家

菊竹清訓は、福岡県久留米市の出身で、戦後に早稲田大学で建築を学びました。30歳前後で自邸スカイハウスを発表し、一躍大きな注目を集めます。

1960年、東京で開かれた世界デザイン会議で、若い建築家たちとともに「メタボリズム」を宣言しました。建築や都市を、生きもののように新陳代謝するものとして考える運動です。

ほかの代表作には、ホテル東光園(1964年)、都城市民会館(1966年)、江戸東京博物館(1993年)、九州国立博物館(2005年)などがあります。2011年、83歳で亡くなりました。

島根に残る菊竹の建物

菊竹は、出雲大社庁の舎のほかにも、島根県内で多くの建物を手がけました。当時の県知事が、若い菊竹に次々と仕事を任せたのです。

松江市には、旧島根県立博物館(1959年)や島根県立図書館(1968年)、田部美術館(1979年)などが残っています。

庁の舎は失われましたが、松江を歩けば菊竹の仕事にいまも出会えます。出雲を訪れるなら、あわせて足をのばしてみてください。

プレストレストコンクリートとは

プレストレストコンクリートは、コンクリートの中に通した鋼材をあらかじめ強く引っ張り、コンクリートに圧縮する力をかけておく技術です。

コンクリートは押される力には強いものの、引っ張られる力には弱い性質があります。前もって押しておくことで、重さがかかっても割れにくくなるのです。

この技術のおかげで、庁の舎は柱の少ない長い梁で、大きな屋根を架けることができました。

メタボリズムの仲間たち

メタボリズムには、菊竹のほか、黒川紀章、槇文彦、大高正人、評論家の川添登らが加わりました。いずれも、戦後の急速な都市の成長にどう応えるかを考えた建築家たちです。

黒川の 中銀カプセルタワー、大高の 基町高層アパート など、運動の考え方は多くの建物に表れました。

菊竹の事務所からは、のちに伊東豊雄ら多くの建築家が育っています。メタボリズムは、次の世代を育てる場でもあったのです。

出雲大社という場所

出雲大社は、縁結びの神として知られる大国主大神をまつる、日本でもっとも古い神社の一つです。現在の本殿は1744年に建てられ、国宝に指定されています。

庁の舎は、この本殿のすぐ近くに建っていました。国宝の社殿と、近代のコンクリート建築が向き合うという、ほかにない配置です。庁の舎は、毎年訪れる多くの参拝者を迎える窓口でもありました。

神域の静けさを壊さず、それでいて古い形を真似しない。菊竹が向き合ったのは、そのきわめて難しい課題でした。

解体をめぐる議論

建て替えが決まると、日本建築学会などから、保存を求める要望が寄せられたと報じられています。海外の建築家や研究者からも、失うことを惜しむ声が寄せられました。

一方で、社務所として使い続けるには、雨漏りや設備の老朽化、使い勝手の問題があったとされます。文化財としての価値と、日々使う建物としての要求が、ここで正面から衝突したのです。

結果として建物は解体されましたが、この議論は、戦後建築をどう残すかという問いを社会に広く投げかけました。

記録として残すという方法

建物は失われましたが、設計図や写真、模型、研究者による記録は残されています。解体の前には、多くの人が最後の姿を見に訪れたといわれます。

建物を残せない場合でも、詳しい記録を残すことで、次の世代が学べるようにする。解体の前後には、そうした記録づくりの取り組みも行われました。

実物に会えない建築を知るには、残された図面と写真を丁寧に読むしかありません。庁の舎は、その大切さを教えてくれる建物でもあります。

失われた建築から学べること

建物は失われましたが、この設計が示した問いは残っています。伝統の場所に現代の技術でどう応えるか。形の模倣ではなく、風景の翻訳という道があること。

同じ問いに取り組んだ建物として、丹下健三の香川県庁舎(木造の構成をコンクリートで再現)、村野藤吾の世界平和記念聖堂があります。菊竹のもうひとつの実験は坂出人工土地とあわせてご覧ください。

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