クラウンホールは、ミース・ファン・デル・ローエが1956年にシカゴのイリノイ工科大学(IIT)に完成させた建築学部の校舎です。内部には柱が一本もない、ガラスに囲まれたひとつの大部屋が広がります。
ミースが唱えた「ユニバーサル・スペース」の、もっとも純度の高い実物です。
| 名称 | S・R・クラウンホール(S. R. Crown Hall) |
|---|---|
| 所在地 | アメリカ・シカゴ、イリノイ工科大学(IIT)のキャンパス内 |
| 設計 | ミース・ファン・デル・ローエ |
| 建設 | 1950〜1956年 |
| 構造 | 屋根の上に架けた4本の鉄骨の大梁から、屋根を吊り下げる |
| 主階 | 柱のない約37×67メートルの一室(製図室など) |
| 文化財 | 2001年に米国の国定歴史建造物 |
| 見学 | 現役の校舎。大学による建築ツアーなどで見学できる |
シカゴに移った元バウハウス校長
ミースはバウハウス最後の校長を務めた後、1938年に渡米し、シカゴのアーマー工科大学(後のIIT)で建築教育を率いることになります。大学は彼にキャンパス全体の計画も委ねました。
クラウンホールはそのキャンパス計画の中心に建つ、自分の学生のために自分で設計した校舎です。教育者としてのミースと建築家としてのミースが、一つの建物で重なっています。
屋根を上から吊るという解法
内部の柱を消すために、ミースは構造を建物の外に出しました。屋根の上に架け渡した鉄骨の大梁から、屋根の面を吊り下げる構成です。荷重は外周の柱を通って地面に降り、内部は床と天井とガラスだけになります。
構造が外に見えているので、建物の仕組みは一目で分かります。飾りではなく、力の流れそのものが外観になる。
AEGタービン工場 で師ベーレンスが見せかけの重さを選んだのに対し、弟子のミースは構造の論理を隠さないことを美学にまで高めました。
柱のない一室で建築を教える
主階は間仕切りのないワンルームで、製図室も講評の場も、低い家具と可動のパネルで緩やかに区切られるだけです。学年も課題も違う学生が、同じ空気の中で作業する。
ミースはこの空間を、用途を特定しない「ユニバーサル・スペース」として構想しました。機能に合わせて部屋を作るのではなく、どんな機能でも受け入れる大きな空間を用意する。
機能主義の標語(形態は機能に従う)を、機能の側から解放した答えです。サリヴァンの名言と出典 と読み比べると、シカゴで一世代を隔てて起きた転回が見えます。
「ほとんど無に等しい」の実物
ミースは自作の到達点を「ほとんど無に等しい」という言葉で語ったと伝えられます。クラウンホールはその実演です。壁がなく、柱がなく、あるのは床と屋根と透明な境界だけ。
しかし「無」は手抜きの無ではありません。ガラスの割付、鉄骨の目地、入口の階段の浮かせ方。要素を減らした分だけ、残った要素の精度が上がっている。
「Less is more」と「神は細部に宿る」という二つの標語が、ここでは同じ建物の表と裏です。ミースの名言と出典 をご覧ください。
批判もある建物
クラウンホールには、当初から現実的な批判もあります。全面ガラスの大空間は日射と眩しさの制御が難しく、間仕切りのない製図室は騒音や集中の面で使いにくいという声が、使い手の側から繰り返し出てきました。
ユニバーサル・スペースは、あらゆる機能を受け入れる代わりに、どの機能にも最適化されないという代償を持ちます。この緊張は、ファンズワース邸で施主との対立にまで発展した問題と同根です。
理念の強い建築は、その強さの分だけ使い手に協力を求めます。ファンズワース邸 をあわせてご覧ください。
4本の大梁と、宙に浮く床
屋根の上に見える4本の大梁は、建物の両側の柱に載っています。この大梁から屋根を吊り下げることで、室内から柱をすべて取り除きました。
床も地面から少し持ち上げられ、入口には幅の広い浅い階段と、宙に浮いたような踏み台が設けられています。
屋根は上から吊られ、床は浮いている。重さを感じさせない建物の印象は、こうした細かな工夫の積み重ねから生まれています。
半地下の階と、すりガラス
製図室のある主階の下には、半地下の階があり、教室や工房、事務室などが収められています。半地下の階にも窓があり、自然の光が入るように工夫されています。
主階の周りを囲むガラスは、下の部分がすりガラスになっています。外からの視線をさえぎり、学生が作業に集中できるようにするための工夫です。
上の部分は透明なガラスで、空と木々が見えます。透明さと落ち着きを、ガラスの種類で使い分けているのです。
IITのキャンパスをつくったミース
ミースは、イリノイ工科大学のキャンパス全体の計画を任され、20棟を超える建物を手がけました。
同じ寸法の格子の上に、鉄骨とレンガとガラスの建物が規則正しく並ぶ、建築家一人が描いた大学の町です。
キャンパスには、ミースが設計した小さな礼拝堂もあります。飾りのない箱のような建物で、「神の納屋」とも呼ばれています。
キャンパスの建物は、どれも同じ寸法の格子に合わせて配置されており、上空から見ると整然とした街並みのように見えます。
ミースの建築教育
ミースがIITで行った建築教育は、材料と組み立て方から建築を学ぶことを重んじるものでした。
学生はまず、煉瓦や木、鉄骨といった材料の性質と、それをどう組み合わせるかを徹底して学びました。華やかな形のデザインは、その後に来るものだったのです。
クラウンホールの細部まで行き届いた鉄骨とガラスの納まりは、その教育の考え方を、校舎そのもので示したものともいえます。
夜のクラウンホール
日が暮れると、室内の照明がガラス越しに外へ広がり、クラウンホールは光る箱のように見えます。
昼は周りの木々や空を映すガラスの箱が、夜には中で作業する学生の姿を映し出す。時間によって、見え方が反転する建物です。キャンパスの夜景の中でも、ひときわ目を引く存在です。
シカゴでミースの建築を巡る
シカゴには、ミースの作品が数多く残っています。湖畔の レイクショア・ドライブ・アパートメント、市の中心部の連邦政府センターなどです。
IITのキャンパスとあわせて歩けば、住まい、学校、官庁という違う用途に、ミースが同じ原理をどう当てはめたかがよく分かります。
同じシカゴには、ミースの師にあたる世代のサリヴァンやライトの建築もあり、近代建築の歴史を一つの街でたどることができます。
2005年の修復
完成から半世紀がたつと、ガラスや鉄骨の傷みが目立つようになりました。そこで2005年、大規模な修復が行われました。
修復では、元の姿と細部をできるだけ保ちながら、ガラスの交換や鉄骨の補修が進められました。
近代建築の名作を、使い続けながら、元の姿に近づける。クラウンホールの修復は、その手本の一つとして知られています。
ミースの他の作品とあわせて
クラウンホールは現在も建築学部の校舎として使われており、修復を経て創建時の姿を保っています。
ミースの歩みは、一本の線として見ることができます。バルセロナ・パビリオン(1929年)で壁を解体し、ファンズワース邸(1951年)で住宅を透明にしました。
クラウンホール(1956年)で大空間から柱を消し、シーグラム・ビル(1958年)で超高層に到達します。
同じ原理を磨き続けた建築家の、教育編がこの建物だといえます。

