ミース・ファン・デル・ローエ(1886-1969)の名前は、二つの短い言葉とともに記憶されています。「Less is more」と「神は細部に宿る」。ところが調べていくと、どちらもミースが最初に言った言葉ではありません。それでもこの二句がミースのものとして定着したのには理由があります。出典をたどりながら、6つの言葉を読み解きます。
有名な二句は、どちらもミースの発明ではない
先に結論を書きます。「Less is more」は19世紀イギリスの詩人ロバート・ブラウニングの詩に現れる表現で、ミースの創作ではありません。「神は細部に宿る」も、美術史家アビ・ヴァールブルクをはじめ複数の人物に帰属が語られており、初出は確定していません。
では、なぜミースの言葉として広まったのか。ミースがこの二句を、自分の建築の原理として反復して使ったからです。借りてきた言葉を、作品によって自分のものにした。この経緯自体が、ミースという建築家の性格をよく表しています。
以下では、その二句を含む6つの言葉を、確認できる範囲の出典とともに紹介します。日本語訳は当編集部によるものです。
1. 「Less is more」(より少ないことは、より豊かである)
出典:表現自体はロバート・ブラウニングの詩に遡ります。ミースが建築の文脈で用いたことで定着しました。
意味と解説:
誤解されやすい句です。「少なければ少ないほど良い」という単純な引き算ではありません。要素を減らすほど、残った一つひとつの精度が問われるという意味に近い。
バルセロナ・パビリオン(1929年)を見ると分かります。壁は8枚ほど、柱は8本。それだけの建物ですが、石材はオニキスやトラバーチンが選ばれ、目地の割付は厳密に統制されています。減らした分のコストと注意が、残った要素に集中している。減らすことは、安くすることではありません。
2. 「神は細部に宿る」
出典:初出は確定していません。美術史家アビ・ヴァールブルクの言葉とする説が有力とされますが、ミース自身の造語ではないと考えられています。
意味と解説:
前項と対になる言葉です。要素を減らせば、接合部が露わになります。柱と床が出会う場所、ガラスと金物が接する線。そこを処理しきれるかどうかで、建物の質が決まる。
ミースが十字形の断面を持つ柱をつくり、H形鋼をわざわざ外皮に貼りつけた(シーグラム・ビル、1958年)のは、構造の表現であると同時に、細部を制御下に置くための手段でした。簡潔な建築ほど、細部に逃げ場がない。
3. 「二個の煉瓦を注意深く置くとき、そこに建築が始まる」
出典:ミースが繰り返し語った趣旨の発言として伝えられています。表現には複数の異同があります。
意味と解説:
ミースは石工の子として生まれ、アーヘンの父の工房で石材を扱って育ちました。設計教育を正規に受けていません。この出自は彼の言葉に一貫して影を落としています。
建築を思想からではなく、材料を置くという行為から始める。理念を語る近代建築の言説のなかで、この言葉はきわめて手仕事寄りです。建築の起点を、構想ではなく施工に置いている点が特徴です。
4. 「私は面白い建築ではなく、良い建築をつくりたい」
出典:晩年のインタビューで語られた趣旨として伝えられています。
意味と解説:
ミースの作品には、驚かせる要素がほとんどありません。同時代のコルビュジエが形の発明を続けたのとは対照的に、ミースは同じ原理を反復しました。
ファンズワース邸(1951年)とシーグラム・ビル(1958年)は、規模も用途もまったく違いますが、構成の考え方は同じです。反復に耐える原理を探すことが目的で、新しさは目的ではなかったと読めます。
5. 「建築とは、時代の意志を空間に翻訳したものである」
出典:1920年代の論考や講演でくり返し用いられた定義です。
意味と解説:
「翻訳」という語が要点です。建築家が時代を創るのではなく、すでに動いている時代を空間へ移し替える。作家性を前面に出さない構えが、ここに表れています。
ミースにとっての「時代の意志」は、鉄とガラスという材料そのものでした。だから彼の建築は、素材の選択が思想の表明を兼ねています。
6. 「ほとんど無に等しい」
出典:ミースが自作の到達点を語る際に用いたとされる表現です。
意味と解説:
「Less is more」の極限形です。建物を消していった先に何が残るのか、という問いへの答えでもあります。
ファンズワース邸は、床と屋根と8本の柱、そして全面ガラスの壁でできています。ここまで来ると、建築は空間を囲うことをほとんど放棄している。快適さより原理を優先した結果、施主との訴訟にまで至ったことも含めて、この言葉は読まれるべきでしょう。
コルビュジエとミースが同じ場所に立った1927年
ミースとル・コルビュジエは、しばしば「近代建築の三大巨匠」として並べられます。両者が実際に同じ企画に加わったことも確認できます。1927年、シュトゥットガルトで開かれたヴァイセンホーフ・ジードルング。ミースが全体計画を統括し、コルビュジエは住宅を出品しました。
同じ場所に立ちながら、二人の方向は分かれていきます。コルビュジエは五原則を掲げて形の発明を続け、後年は曲線や打放しコンクリートへ向かいました。ミースは鉄とガラスの均質な構成を、生涯にわたり研ぎ続けました。片方は変化し、片方は反復した。名言を並べて読むと、その差がはっきり見えます。
コルビュジエ自身の言葉は ル・コルビュジエの名言10選とその真意を読み解く に、二人の関係は コルビュジエとミース・ファン・デル・ローエ にまとめています。バルセロナ・パビリオンについては バルセロナ・パビリオン をご覧ください。

