パリから届いた基本設計書には、何が描かれていたか
コルビュジエは1955年11月に来日し、上野の建設予定地を視察しています。基本設計書がパリから日本に届いたのは、翌1956年7月のことでした。
そこに描かれていたのは、細い円柱に支えられた正方形の箱と、二層の吹き抜けを持つ内部空間です。さらに、依頼されていない企画展示館や劇場ホールを含む複合施設の構想までが図面に含まれていました。依頼された範囲を超えて描いてしまうところに、この建築家の性格がよく出ています。実施設計と現場監理は、パリのアトリエで学んだ3人の弟子——前川國男・坂倉準三・吉阪隆正——が引き受けました。
平面図を読む|「無限成長美術館」という発想
この建物の平面には、コルビュジエが長年温めていた構想が組み込まれています。「無限成長美術館」——収蔵品が増えれば、外側へ渦巻き状に展示室を継ぎ足していけるという考え方です。
平面図を見ると、中央の吹き抜けを核として、展示室が四角い渦を描くように巡っているのがわかります。建物を完成した作品としてではなく、成長し続ける生き物として設計する。松方コレクションという「増えていく前提のコレクション」を収める建物として、この構想は必然でもありました。実際には増築されないまま今日に至りますが、図面にはその余地が残されています。
断面図を読む|19世紀ホールの光と、登っていく動線
中央に置かれた19世紀ホールは、二層分の高さを持つ吹き抜けです。断面図でこの部分を見ると、天井から自然光が落ち、そこから展示室へ向かってスロープが登っていく構成になっているのがわかります。
床の上を平らに歩くのではなく、登りながら空間を体験するという組み立ては、サヴォア邸のスロープから一貫したコルビュジエの手法です。平面図だけでは、この上下の関係は見えません。断面図に切り替えたときに初めて、なぜホールに入った瞬間に見上げてしまうのかが説明できます。
ピロティの平面|地面を建物に返す
本館は、細い円柱によって地面から持ち上げられています。平面図で1階を見ると、柱だけが点在し、その間を人が自由に通り抜けられることがわかります。
「近代建築の五原則」の第一に挙げられるピロティですが、その狙いは意匠ではなく、建物が占有した地面を歩行者に返すことにありました。上野公園という開かれた敷地において、この考え方は特に理にかなっています。図面上で柱の位置だけを拾い出してみると、構造の支点と人の動線がどう共存しているかが見えてきます。
基本設計から実施設計へ|3人の弟子が翻訳したもの
パリから届いた図面は、そのままでは日本で建ちません。日本の建築法規、予算、施工技術、資材の事情に合わせて、一つひとつを実現可能な寸法と納まりに置き換える必要がありました。それが実施設計です。
前川はアトリエ在籍が1928–30年、坂倉が1931–36年、吉阪が1950–52年。3人が師のもとで過ごした時期はまったく重なっていません。持ち帰った建築言語も、白い箱の時代のものから、打放しコンクリートの時代のものまで幅があります。その3人が一つの建物に集まったという事実そのものが、この美術館を特別なものにしています。
図面が語る、日本で唯一のコルビュジエ建築
国立西洋美術館は、1959年3月に竣工しました。2016年には「ル・コルビュジエの建築作品——近代建築運動への顕著な貢献」の構成資産として、世界文化遺産に登録されています。7か国17資産のうち、日本にあるのはこの1件だけです。
完成した建物を訪ねれば、素材の手触りや光の量を体験できます。一方、図面を眺めれば、建てられなかった部分まで含めた設計者の思考が見えます。増築されなかった渦巻きの先、描かれたまま実現しなかった劇場ホール。図面は、実現しなかったものまで記録している唯一の資料です。
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