ヒル・ハウスは、チャールズ・レニー・マッキントッシュが1904年、グラスゴー近郊の海辺の町ヘレンズバラに完成させた住宅です。外観はスコットランドの伝統に根ざした灰色の塊、内部は白と光でできた、当時どこにもなかった室内。近代の住宅インテリアの出発点のひとつとされる家です。
出版人が建てた郊外の家
施主は出版人のウォルター・ブラッキー。グラスゴーの出版社の経営者で、家族のための家を郊外の高台に求めました。
ブラッキーは流行の様式住宅を望まず、実用と質を重んじる進歩的な施主でした。マッキントッシュに設計を委ね、家具や内装まで一貫して任せます。建築家に総合を許す施主がいたことが、この家の完成度の前提です。
外はスコットランド、中は新世紀
外観は、スコットランドの伝統的な塔状住宅(バロニアル様式)の記憶を継いだ、粗い灰色のモルタル塗り(ハーリング)の量塊です。装飾はほとんどなく、勾配屋根と円塔が簡潔な影絵をつくります。
ところが玄関を入ると、時代が変わります。淡い色の壁、細い木の線、計算された光。外は土地の過去に、内は来るべき世紀に属している。この内外の落差こそ、マッキントッシュの設計の核心でした。
白い寝室と黒い椅子
もっとも名高いのが主寝室です。白い壁に、淡い薔薇のステンシル。そこに置かれた黒い、異様に背の高い梯子状の椅子(ラダーバック・チェア)が、白い空間を引き締めます。
この椅子は座るための道具である以上に、空間を分節する建築の部品です。家具を建築の延長として設計する態度は、後の アイリーン・グレイ や コルビュジエのLCシリーズ に先行しています。
ウィーンへ渡った白
マッキントッシュの室内は、1900年にウィーン分離派の展覧会へ招かれ、大陸の作り手たちに強い印象を与えました。ウィーン工房のホフマンらが受け取った白と幾何学は、やがて ストックレー邸 に結晶します。
グラスゴーの白い室内 → ウィーンの幾何学 → 装飾の削ぎ落とし、という流れの先に、ロースの シュタイナー邸 や近代建築の白があります。白い抽象は、パリの発明ではなく、北からの長い旅の到達点でした。
雨に溶ける家と「箱」による保存
ヒル・ハウスは現在、深刻な保存問題を抱えています。外壁のモルタルが、百年にわたりスコットランドの雨を吸い続け、壁体が湿気で傷み続けているのです。
管理団体は応急の解体修理ではなく、異例の手段を選びました。家全体を金網の巨大な覆い(ボックス)で包み、雨を遮って乾かしながら、時間をかけて修復するという方法です。覆いには見学用の通路が組み込まれ、修復中の家を上から眺められます。保存そのものを公開の展示に変えた試みとして注目されています。訪問される場合は公開状況の最新情報をご確認ください。
近代住宅の系譜のなかで
ヒル・ハウスは、アーツ・アンド・クラフツの手仕事と、来るべき抽象のあいだに立つ家です。源流には レッド・ハウス(ウィリアム・モリス)があり、下流には白い近代住宅の系譜が続きます。
土地の伝統に立ちながら新しい室内を発明する、という課題設定は、半世紀後の グロピウス邸 や 前川國男邸 にも受け継がれました。住宅の近代は、各地でそれぞれの素材と気候を相手に始まったのです。

