グロピウス邸は、バウハウス創設者ヴァルター・グロピウスが1938年、アメリカ・マサチューセッツ州リンカーンに建てた自邸です。ナチスの台頭でドイツを離れ、ハーバード大学に着任した直後の仕事でした。亡命した近代建築が、新大陸の風土とどう折り合ったかを、この小さな木造住宅が示しています。
亡命の果てのニューイングランド
グロピウスは1934年にドイツを離れ、イギリスを経て1937年にアメリカへ渡り、ハーバード大学のデザイン大学院で教壇に立ちます。ミースも同時期に渡米しました。バウハウスの閉鎖が、近代建築の中心をヨーロッパからアメリカへ移したのです。
着任の翌年、ボストン郊外のリンカーンに自邸を建てます。資金は潤沢ではなく、敷地は篤志家の提供によるものでした。豪邸ではなく、教授の家族が住む慎ましい家。その条件が、かえってこの住宅を面白くしました。
土地の木造と、バウハウスの語彙
ニューイングランドの住宅は、木の軸組に白い下見板張りという伝統を持ちます。グロピウス邸も構造は在来の木造で、外壁には土地の職人が張れる縦板が使われました。
そこにバウハウスの語彙が重なります。フラットな屋根、水平に長い窓、ガラスブロック、鉄の手すり、庇を支える細い鉄柱。形は移民し、作り方は土地に従う。ヨーロッパの白い箱をそのまま複製するのではなく、現地の材料と工法で言い直した点が、この家の設計判断の核心です。
地元の部品でモダニズムを組む
この住宅の建具や金物の多くは、特注品ではなくアメリカのカタログから選んだ既製品だったと伝えられます。工業製品を組み合わせて質の高い住宅をつくるという発想は、バウハウスが説いた規格化の思想そのものです。
特別あつらえの芸術品ではなく、誰でも買える部品の賢い編集で家を建てる。ヨーロッパで理論だった規格化が、アメリカでは店で買える現実だったことを、グロピウスは自邸で確かめたことになります。
家そのものが教材だった
ハーバードでのグロピウスは、多くの学生をこの家に招きました。自邸はニューイングランドで実物の近代住宅を体験できる数少ない場所であり、授業の延長でもあったのです。
彼の教え子には、後にアメリカ建築を担う世代が並びます。教科書ではなく自分の居間で教える。グロピウスの名言と出典 で扱った「教えるべきは様式ではなく方法である」という主張の、もっとも私的な実践がこの家でした。
現在は保存公開されている
グロピウス夫妻の没後、住宅は歴史保存団体に引き継がれ、家具や蔵書を残したまま公開されています。マルセル・ブロイヤーがデザインした家具など、バウハウスの暮らしがそのまま保存されている点で貴重です。
公開日時は季節で変わるため、訪問される場合は最新情報をご確認ください。
三人の巨匠の自邸を並べる
自邸は建築家の思想がもっとも純粋に出る仕事です。前川國男は統制下の東京で木造の 前川國男邸 を建て、コルビュジエは晩年、約8畳の カップ・マルタンの休暇小屋 に落ち着きました。そしてグロピウスは、亡命先の木造伝統と手を結んだ。
三つの家に共通するのは、置かれた条件を否定せず、条件ごと設計に取り込んだことです。近代建築は白いコンクリートの様式ではなく、条件を解く方法だった。自邸群はその何よりの証拠です。デッサウの校舎は デッサウのバウハウス校舎 をご覧ください。

