ヴァルター・グロピウス(1883-1969)の言葉は、他の建築家とは書かれ方が違います。個人の感想ではなく、組織の綱領として書かれたものが中心です。1919年のバウハウス宣言がその代表で、出典もはっきりしています。
宣言文として書かれた言葉
グロピウスは1919年、ドイツのワイマールにバウハウスを創設しました。その設立にあたって発表された文書が「バウハウス宣言」です。木版画を表紙に据えた4ページほどの小冊子で、原文が残っています。
したがってグロピウスの名言は、誰に向けて、何のために書かれたかが明確です。学校の理念を掲げ、教員と学生を集めるための文章でした。以下の日本語訳は当編集部によるものです。
1. 「すべての造形活動の最終目標は、建築である」
出典:バウハウス宣言(1919年)の冒頭。
意味と解説:
絵画も彫刻も工芸も、最終的には建築に統合される、という宣言です。20世紀のデザイン教育を決定づけた一文といえます。
ここで重要なのは、建築を頂点とする階層を掲げている点です。バウハウスの教育課程は、基礎教育から工房での実習へ進み、最後に建築へ至る構成をとりました。この考え方は、後に世界中の美術・デザイン教育に移植されます。
2. 「建築家、彫刻家、画家よ、我々は皆、手仕事に立ち返らねばならない」
出典:バウハウス宣言(1919年)。
意味と解説:
バウハウスは工業デザインの学校というイメージが強いのですが、創設時の宣言は手仕事への回帰を掲げていました。表紙の木版画も中世の大聖堂を描いたものです。
工業生産との接続が前面に出るのは、1923年頃からの方向転換以降です。名言だけを見ると、この変化を見落とします。
3. 「美をつくりだすことと美を愛することは、人間を豊かにするだけでなく、道徳的な力をもたらす」
出典:グロピウスの著作に見られる趣旨の主張です。
意味と解説:
美を倫理と結びつける議論です。アドルフ・ロースが装飾を倫理の問題として否定したのと、方向は逆ですが土俵は同じです。
第一次世界大戦の直後という時代背景を踏まえる必要があります。グロピウス自身が従軍しており、バウハウスの創設は敗戦国の再建構想の一部でもありました。
4. 「教えるべきは様式ではなく、方法である」
出典:バウハウスの教育方針を語る文脈で示された趣旨です。
意味と解説:
グロピウスは、バウハウス様式というものを作るつもりはないと繰り返し述べました。教えるのは素材の扱い方と考え方であって、形ではない、と。
もっとも歴史の評価は逆になりました。今日「バウハウス風」という語が通用してしまうこと自体、方法を教えようとした試みが様式として受け取られたことの証拠です。
5. 「建築は、時代とともに変わらなければならない」
出典:著作や講演でくり返された趣旨の主張です。
意味と解説:
ミースの「建築は時代の意志を空間に翻訳したものである」と、ほぼ同じ内容です。二人はバウハウスの校長を相次いで務めました(グロピウス1919-1928、ミース1930-1933)。
グロピウスは1934年にドイツを離れ、最終的にアメリカへ渡ってハーバード大学で教えます。ミースも同時期に渡米しました。バウハウスの閉鎖が、近代建築をアメリカへ移したという経緯が、この二人の履歴に刻まれています。
ヴァイセンホーフで同じ敷地に立った三人
1927年、シュトゥットガルトで開かれたヴァイセンホーフ・ジードルング。ミースが全体計画を統括し、コルビュジエ、グロピウスをはじめとする建築家たちが住宅を出品しました。近代建築が一堂に会した、事実上の見本市です。
その後の三人の道は分かれます。グロピウスは教育者として制度をつくり、ミースは形式を研ぎ続け、コルビュジエは変化を続けました。同じ場所から出発して、組織・形式・変化という三つの方向へ散った。名言の性格の違いも、この分岐に対応しています。
ミースの言葉は ミース・ファン・デル・ローエの名言と出典、コルビュジエの言葉は ル・コルビュジエの名言10選とその真意を読み解く にまとめています。

