デッサウのバウハウス校舎は、ヴァルター・グロピウスの設計で1926年に完成した、造形学校バウハウスの校舎です。ガラスのカーテンウォールに「BAUHAUS」の縦文字。
写真を見れば誰もが知っている建物ですが、これは単なる校舎ではありません。学校が教えている内容を、建物そのもので宣言した建築です。
| 名称 | バウハウス・デッサウ校舎 |
|---|---|
| 所在地 | ドイツ・ザクセン=アンハルト州デッサウ |
| 完成 | 1926年 |
| 設計 | ヴァルター・グロピウス |
| 構成 | 工房棟、教室棟、学生寮(アトリエ棟)を橋でつなぐ |
| 世界遺産 | 1996年登録(ワイマールとデッサウのバウハウス関連遺産) |
ワイマールから追われてデッサウへ
バウハウスは1919年にワイマールで開校しましたが、地元の政治情勢が変わり、1925年に活動の継続が難しくなります。受け入れ先として手を挙げたのが、工業都市デッサウでした。
移転は結果として飛躍になります。市の支援で新校舎を建てられることになり、グロピウスは学校の理念を提示する実物の機会を得ました。教育の場と宣言の場を兼ねた建物。それがデッサウ校舎の出発点です。
バウハウスの歴史全体は バウハウスの歴史 にまとめています。
機能ごとの棟を、橋でつなぐ
校舎は一つの塊ではありません。工房棟、教室棟、学生の住む寮(アトリエ棟)という機能の違う棟が分かれ、渡り廊下の橋でつながる構成です。橋の中には事務室と、グロピウスの設計事務所が入っていました。
平面は風車のように回転しながら広がり、機能の数だけ翼がある。用途を一つの箱に押し込めず、使われ方の違いを配置の形にする。この考え方は、後の学校建築や庁舎の計画に広く受け継がれました。
ガラスのカーテンウォールという看板
もっとも有名なのは工房棟です。3層分のガラス面が、角を回り込んで建物を包みます。ガラスを支えるのは外壁ではなく、内側に引っ込んだ床と柱。
壁が建物を支えるという千年の常識が、ここでは目に見える形で否定されています。
夜、工房に灯りがともると、内部の機械や作業台がガラス越しにそのまま浮かび上がりました。教育の中身が外から見える校舎。それ自体が最高の広報でした。
決まった正面がない
デッサウ校舎には、歴史的な建築が必ず持っていた「正面」がありません。どの向きから見ても違う表情があり、全体像は歩き回らないと掴めない。
グロピウスはこの建物について、上空から見なければ全体が分からないという趣旨の説明をしています。飛行機の時代の建築、というわけです。
軸線と正面性で権威を表現してきた建築の伝統から見れば、これは静かな革命でした。建物の価値を、立面の格式ではなく機能の組み立てそのものに置く。バウハウスが教えた内容と、校舎の構成は完全に一致しています。
二度の閉鎖と、長い修復
バウハウスは1932年、ナチスが多数を占めたデッサウ市議会の決定で閉鎖され、ベルリンへ移った後、1933年に完全に解散します。校舎は他の用途に転用され、第二次大戦では空襲の被害も受けました。
戦後は東ドイツ領となり、段階的な修復を経て、1996年にワイマールとデッサウのバウハウス関連遺産として世界遺産に登録されます。現在はバウハウス・デッサウ財団が管理し、見学もできます。
建物の寿命が学校の寿命を大きく超えた例です。
教師たちの家「マイスターハウス」
校舎から少し離れた松林の中には、バウハウスの教師たちが暮らした「マイスターハウス(親方の家)」が並んでいます。これもグロピウスの設計です。
校長のグロピウスの家と、教師たちが二家族ずつ住む家がありました。画家のカンディンスキーやクレーも、ここで隣どうしに暮らしています。
グロピウスの家などは戦争で失われましたが、2014年に、元の姿をなぞる新しい建物として再建されました。
校舎に集まった教師たち
デッサウのバウハウスには、美術やデザインの歴史に名を残す人々が教師として集まりました。
画家のカンディンスキー、クレー、写真や造形のモホリ=ナジ、家具のマルセル・ブロイヤー、色と形を教えたヨゼフ・アルバースなどです。
絵画、工芸、建築の境をなくし、一つの場所で一緒に学ぶ。校舎は、その理想を支える器でした。
学生たちは工房で家具や照明、織物などを実際につくり、その中には製品として売り出されたものもありました。
三人の校長
バウハウスは、短い歴史の中で三人の校長を迎えました。初代はグロピウスで、1928年まで学校を率いました。
二代目のハンネス・マイヤーは、建築を社会のための実用的な仕事として重んじました。三代目は、のちにアメリカで活躍するミース・ファン・デル・ローエです。
ミースの時代にデッサウの学校は閉鎖され、ベルリンへ移ったあと、1933年に解散しました(バウハウスの歴史)。
同じ1920年代のコルビュジエ
バウハウス校舎が完成した1926年ごろ、パリのコルビュジエは、白い箱の住宅を次々に設計していました。
翌1927年には、ドイツのシュトゥットガルトで開かれた住宅展「ヴァイセンホーフ・ジードルング」に、コルビュジエもグロピウスも住宅を出品しています。
柱と床で建物を支え、壁を自由にするという考えは、グロピウスのガラスの壁にも、コルビュジエの横長の窓にも共通しています。
ただ、その表し方には、それぞれの個性がはっきり出ていました(コルビュジエとバウハウス)。
縦に書かれた「BAUHAUS」
校舎の壁に縦に並ぶ「BAUHAUS」の文字は、この建物のもっとも有名な顔の一つです。
飾りのない、すっきりとした形の文字は、バウハウスが目指した新しいデザインを、そのまま文字の形で示しています。
建物と文字が一体となった看板は、今でいうブランドのロゴのような役目を果たしていました。遠くからでも、ここが何の建物なのかが、ひと目でわかるようになっていたのです。
学生寮に泊まる
校舎の中の、かつての学生寮の部屋の一部は、現在、見学者が泊まれる宿として使われています。
バルコニーのついた小さな部屋で、100年前の学生たちと同じ空間で一夜を過ごすことができます。
予約の方法や料金は変わることがあるので、バウハウス・デッサウ財団の公式サイトで最新の情報を確かめてください。
訪れるには
デッサウは、ベルリンから鉄道で1時間半ほどの町です。駅から校舎までは歩いて行ける距離にあります。
校舎の見学ツアーのほか、町の中心には2019年に開館した「バウハウス・ミュージアム・デッサウ」もあり、学校の作品や資料を見ることができます。
マイスターハウスとあわせて、一日かけてゆっくり巡るのがおすすめです。
デッサウの周辺には、グロピウスが設計したテルテンの住宅団地など、バウハウスの時代の住宅も残っています。
校舎だけでなく、町全体を歩いてみると、学校が目指した暮らしの形がより身近に感じられます。
いまも学校として使われている
デッサウ校舎の幸福は、博物館の展示物にならなかったことです。財団のプログラムや教育活動の場として、いまも人が出入りして使われています。使われ続けることが、この建物のいちばん正しい保存だといえます。
バウハウスを率いたグロピウスの言葉は グロピウスの名言と出典、コルビュジエとバウハウスの関係は コルビュジエとバウハウス、グロピウスが渡米後に建てた自邸は グロピウス邸 をご覧ください。

