赤い煉瓦を、塗らずに見せた
レッドハウス(1859年/イギリス・ケント州)は、ウィリアム・モリスの新居として、建築家フィリップ・ウェッブが設計した住宅です。
当時の中産階級の住宅は、煉瓦の上に漆喰を塗って古典様式に見せるのが普通でした。この家は違います。赤い煉瓦をそのまま見せ、屋根は急勾配、窓は必要な位置に必要な大きさで開けられています。
様式に合わせて形を決めるのではなく、用途と素材から形を決める。この態度が、のちの近代建築につながっていきます。
すべてを手で作った
モリスはこの家のために、家具、壁紙、ステンドグラス、タイルまでを自分たちで制作しました。既製品では満足できるものがなかったからです。
この経験からモリス商会が生まれ、アーツ・アンド・クラフツ運動へ発展します。産業革命による大量生産が職人の技術と労働の喜びを奪ったという批判が、その中心にありました。
機械が悪い。手仕事に戻れ。これがモリスの立場です。
コルビュジエは、正反対から始めた
その60年後、コルビュジエは『建築をめざして』(1923年)でこう書きます。「住宅は住むための機械である」。
自動車が量産され、飛行機が飛び、遠洋定期船が海を渡っている。それなのに住宅だけが手工業のままでいいのか——という問いかけでした。同書には自動車や汽船の写真が並べられ、パルテノン神殿と自動車が対比されています。
モリスは機械を拒み、コルビュジエは機械を讃えた。出発点は正反対です。
ただし、目指したものは近い
ここで終わると、単純な対立の物語になります。実際はもう少し複雑です。
二人が問題にしていたのは、どちらも「多くの人が、まともな住まいを得られていない」という状況でした。
モリスは社会主義者として、労働と生活の質の回復を求めました。コルビュジエは量産によって住宅を安くし、行き渡らせようとしました。手段は正反対でも、目的は重なっています。
ペサックの集合住宅(1926年)でコルビュジエが試みたのは、労働者が買える価格の住宅を規格化して大量に建てることでした。
形の系譜としても、つながっている
レッドハウスの「様式ではなく用途から形を決める」という態度は、アーツ・アンド・クラフツを経てヨーロッパ大陸に伝わり、ドイツ工作連盟、そしてバウハウスへつながっていきます。コルビュジエもその流れの中にいました。
つまりコルビュジエは、モリスが開いた道の先で、モリスと逆の結論に達したことになります。
コルビュジエの側の量産住宅の構想を図面で確かめたい方は、下記の手描き構想図をご覧ください。
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