ブラジル国会議事堂は、1960年に開都した計画首都ブラジリアの中心に建つ、オスカー・ニーマイヤーの代表作です。水平の巨大なスラブの上に、伏せた皿、開いたドーム、そして双子の高層棟。それだけの構成で、新しい国の顔が出来上がりました。
何もない高原に首都を建てる
ブラジルは1950年代、海岸部のリオデジャネイロから内陸の高原へ首都を移す決断をします。目的は国土の内陸開発です。ほぼ何もない大地に、わずか数年で首都が建設されました。開都は1960年です。
都市計画はルシオ・コスタ。飛行機のような平面に住区と官庁軸を配した「パイロット・プラン」で知られます。その機首の位置、三権広場に面して建つのが国会議事堂です。都市の設計者と建物の設計者が分業した点で、チャンディガールのコルビュジエとは体制が違いました。
皿とドームと双子のタワー
構成は驚くほど単純です。水平に伸びる基壇の屋上に、下院の議場を覆う「開いた皿」と、上院の議場を覆う「伏せたドーム」が載り、そのあいだに事務局の双子の高層棟が立つ。
開いた皿は民意を受け止める器、伏せたドームは審議の静けさ、という読み方がよくされます。ニーマイヤー自身が意味を語ることは多くありませんでしたが、遠くからシルエットだけで判別できる形が、記念碑性の核心であることは確かです。装飾ゼロで象徴をつくる。近代建築が苦手としてきた課題への、ブラジルからの回答でした。
師コルビュジエと歩いた道
ニーマイヤーの経歴は、コルビュジエと二度、決定的に交差しています。一度目は1936年、リオの教育保健省ビル。コルビュジエが顧問として招かれ、若きニーマイヤーは設計チームの一員としてその仕事を間近で学びました。二度目は1947年、ニューヨークの国連本部ビル。両者はともに設計委員会に加わっています。
ブラジリアの語彙――ピロティ、屋上の造形、日除け――の土台はコルビュジエ譲りです。しかしニーマイヤーは、師の文法を使って別の詩を書きました。その分岐が次の主題です。コルビュジエとオスカー・ニーマイヤー もご覧ください。
曲線はブラジルのものである
ニーマイヤーは、直角を原則としたコルビュジエに対して、自由な曲線を自分の言語に選びました。彼はその源泉を、ブラジルの山並みや海岸線、そして人体の曲線に求めると語り続けています。
国会議事堂の皿とドームも、構造の必然というより、輪郭の美しさから決められた形です。合理主義の枠組みで育ちながら、感覚の造形へ踏み出す。ガウディが「曲線は神のもの」と言ったのに対し、ニーマイヤーの曲線は徹底して世俗的で、官能的です。ガウディの名言と出典 と対で読むと、曲線の二つの系譜が見えてきます。
ブラジリアという都市の評価
ブラジリアは1987年、建設からわずか27年で世界遺産に登録されました。近代都市計画の理念をこれほど純粋に実現した都市は他にありません。
同時に、批判も絶えません。歩行者より自動車を優先した尺度、機能で分けられた単調な住区。コルビュジエの都市論が抱えていた問題が、実現したがゆえに検証可能になった都市でもあります。この論点は ユルバニスム と 300万人の現代都市 で詳しく扱っています。
ニーマイヤーをさらに読む
ニーマイヤーは2012年、104歳で亡くなるまで現役でした。ブラジリアの主要建築のほか、晩年の ニテロイ現代美術館 など、曲線の造形を生涯貫いています。
コルビュジエとの関係は コルビュジエとオスカー・ニーマイヤー、南アジアのもうひとつの首都は バングラデシュ国会議事堂 をご覧ください。

