バングラデシュの首都ダッカに建つ国会議事堂は、ルイス・カーンが1960年代から晩年までを捧げた大作です。完成は1982年。カーン自身は1974年に亡くなっており、この建物の完成を見ていません。
20世紀の議事堂建築で最も高く評価される作品のひとつであり、コルビュジエのチャンディガールと並べて語られる「もうひとつの首都」です。
| 名称 | バングラデシュ国会議事堂(ジャティヨ・サンサド・ババン) |
|---|---|
| 所在地 | バングラデシュ・ダッカ、シェレ・バングラ・ナガル地区 |
| 設計 | ルイス・カーン(1974年の没後はデヴィッド・ウィズダムらが引き継いだ) |
| 建設 | 1964年着工、1982年1月完成 |
| 敷地 | 約84ヘクタール(208エーカー)。建物の三方を人工の湖が囲む |
| 構成 | 中央の八角形の議場を、8つの棟が取り囲む |
| 評価 | 1989年にアガ・カーン建築賞 |
| 見学 | 敷地内の見学ができる(外国人は有料のツアー) |
新しい国の、まだ見ぬ首都
計画が始まった1960年代初頭、この土地はまだ独立国バングラデシュではなく、パキスタンの東翼(東パキスタン)でした。政府は東側の拠点となる議事堂群の設計をカーンに委ねます。
つまりこの建物は、発注した国家と完成した国家が違うという数奇な履歴を持ちます。設計の途中で独立戦争が起き、国が生まれ変わり、それでも工事は引き継がれて完成した。
建築が政治の変転を生き延びた稀有な例です。
水の上に置かれた要塞
議事堂は人工の湖に囲まれ、水面から立ち上がるように建っています。ベンガル・デルタは水の土地です。雨季には大地の多くが水に覆われる。水に浮かぶ構えは、この土地の風景の翻訳でもあります。
外観は、コンクリートの量塊に大理石の帯が水平に走る、要塞のような佇まいです。装飾はなく、あるのは巨大な幾何学の開口だけ。近代建築というより、時代を特定できない古代の遺構のように見える。
カーンが求めた「建築の起源」の感触が、ここに結晶しています。
円と三角の大開口
壁には、窓というには大きすぎる円形や三角形の開口が、ためらいなく開けられています。これは意匠の遊びではありません。強い日射と雨から内部を守るための、外側の緩衝壁です。
カーンは「使われる部屋」と「仕える部屋」を分ける建築家でした。ここでは壁そのものが二重になり、外の壁が気候を受け止め、内の壁が部屋を包む。
幾何学の開口は、その二重壁の外側に開いた、光と風の取り入れ口です。
光を二段階で受け止める
中心の議場は、直射日光の入らない深い空間です。光はまず外殻の大開口で受け止められ、二重壁のあいだで和らげられてから、内部へ届きます。熱帯の強烈な光を、二段階の壁でろ過する仕組みです。
キンベル美術館では屋根の反射板が同じ役割を担いました。素材も形も違いますが、原理は一つです。光を直接入れず、一度受け止めてから配る。
戦争と独立を挟んだ建設
1971年の独立戦争で工事は中断し、建設地も戦火の影響を受けました。独立後のバングラデシュは、この計画を新しい国の国会議事堂として引き継ぎます。
資材も技術も限られるなかで、複雑なコンクリートの躯体を現地の人々が打ち続けました。
完成した議事堂は、いまやバングラデシュという国の象徴として広く知られています。外国人建築家の作品が、独立国家のアイデンティティになった。
この転化は、建築が国民国家に対して果たしうる役割の、もっとも幸福な例のひとつです。
9つの棟でできた「一つの都市」
議事堂の中心には、350人の議員が集まる八角形の議場があります。その周りを、事務室や会議室、祈りの場などが入った8つの棟が取り囲んでいます。
議場と周りの棟のあいだには、高い吹き抜けの通路がめぐり、上からの光が落ちてきます。建物の内部に、街路や広場のような空間がつくられているのです。
カーンはこの建物を、一つの建物というより、議会という共同体のための小さな都市として考えました。
見学するには
議事堂の敷地は一般にも開かれており、外国人は料金を払ってツアーに参加できるとされています。国の議会であるため、見学できる範囲や日程には制限があります。
2024年の政変に伴う混乱では、建物が損傷を受けたと報じられました。訪れる際は、最新の治安情報と見学の可否を必ず確認してください。
湖の向こうから眺める外観だけでも、この建物の大きさと静けさは十分に伝わります。
カーンを推した建築家、ムザルル・イスラム
東パキスタン政府がカーンに設計を依頼した背景には、ダッカ出身の建築家ムザルル・イスラムの存在がありました。イスラムは自ら設計を担うのではなく、世界的な建築家を招くよう働きかけたとされます。
カーンが設計を引き受けたのは1960年代初めです。地元の建築家が、自国の首都のために海外の才能を呼び込んだことが、この建物の出発点でした。
イスラム自身も、のちにバングラデシュの近代建築を代表する建築家として活躍します。
大理石の帯は、工事の記録
外壁のコンクリートには、白い大理石の細い帯が一定の高さごとに水平に走っています。これは単なる飾りではありません。
コンクリートは一日に打てる高さに限りがあり、打ち継いだ位置に線が残ります。カーンはその継ぎ目に大理石の帯をはめ込み、工事の区切りを、そのまま外観のリズムに変えました。
人の手で少しずつ積み上げられた建物であることが、この帯によって外から読み取れるのです。
映画『マイ・アーキテクト』
2003年、カーンの息子ナサニエル・カーンは、父の足跡をたどるドキュメンタリー映画『マイ・アーキテクト』を発表しました。
映画の終盤では、この議事堂が大きく取り上げられています。完成を見ずに亡くなった建築家が、遠い国に何を残したのかを、息子の目を通して確かめる場面です。
カーンの生涯と作品に関心のある人には、議事堂を訪ねる前の予習としてもおすすめできる作品です。
議場の天井と、祈りの場
八角形の議場の上には、薄いコンクリートの曲面でできた天井がかかり、その高さは約36メートルに達します。周りから入った光が、この高い天井に反射して議場に落ちてきます。
周りの棟の一つには祈りの場が置かれ、メッカの方角に合わせて向きが少し振られているとされます。
この高い天井が、議場に独特の荘厳さを与えています。
チャンディガールとの対比
南アジアには、20世紀建築の二大首都計画が並んでいます。コルビュジエのチャンディガール(インド・パンジャーブ州)と、カーンのダッカです。
コルビュジエは都市全体を計画し、議事堂・高等法院・合同庁舎を広大な軸線上に配置しました。カーンは議事堂という一つの建物に、都市に匹敵する密度を注ぎ込みました。広げたコルビュジエと、深めたカーン。
二人の資質の違いが、二つの首都の違いにそのまま出ています。チャンディガールの都市計画 と読み比べてみてください。
完成を見なかった建築家
カーンは1974年、インド出張の帰路、ニューヨークの駅で倒れて亡くなりました。ダッカの現場はまだ途上で、完成は8年後の1982年です。
50代まで代表作を持たなかった建築家が、最後に国家の象徴を遺した。その生涯を象徴するような結末でした。
カーンの言葉と生涯は ルイス・カーンの名言と出典 にまとめています。

