バングラデシュの首都ダッカに建つ国会議事堂は、ルイス・カーンが1960年代から晩年までを捧げた大作です。完成は1983年。カーン自身は1974年に亡くなっており、この建物の完成を見ていません。20世紀の議事堂建築で最も高く評価される作品のひとつであり、コルビュジエのチャンディガールと並べて語られる「もうひとつの首都」です。
新しい国の、まだ見ぬ首都
計画が始まった1960年代初頭、この土地はまだ独立国バングラデシュではなく、パキスタンの東翼(東パキスタン)でした。政府は東側の拠点となる議事堂群の設計をカーンに委ねます。
つまりこの建物は、発注した国家と完成した国家が違うという数奇な履歴を持ちます。設計の途中で独立戦争が起き、国が生まれ変わり、それでも工事は引き継がれて完成した。建築が政治の変転を生き延びた稀有な例です。
水の上に置かれた要塞
議事堂は人工の湖に囲まれ、水面から立ち上がるように建っています。ベンガル・デルタは水の土地です。雨季には大地の多くが水に覆われる。水に浮かぶ構えは、この土地の風景の翻訳でもあります。
外観は、コンクリートの量塊に大理石の帯が水平に走る、要塞のような佇まいです。装飾はなく、あるのは巨大な幾何学の開口だけ。近代建築というより、時代を特定できない古代の遺構のように見える。カーンが求めた「建築の起源」の感触が、ここに結晶しています。
円と三角の大開口
壁には、窓というには大きすぎる円形や三角形の開口が、ためらいなく開けられています。これは意匠の遊びではありません。強い日射と雨から内部を守るための、外側の緩衝壁です。
カーンは「使われる部屋」と「仕える部屋」を分ける建築家でした。ここでは壁そのものが二重になり、外の壁が気候を受け止め、内の壁が部屋を包む。幾何学の開口は、その二重壁の外側に開いた、光と風の取り入れ口です。
光を二段階で受け止める
中心の議場は、直射日光の入らない深い空間です。光はまず外殻の大開口で受け止められ、二重壁のあいだで和らげられてから、内部へ届きます。熱帯の強烈な光を、二段階の壁でろ過する仕組みです。
キンベル美術館では屋根の反射板が同じ役割を担いました。素材も形も違いますが、原理は一つです。光を直接入れず、一度受け止めてから配る。キンベル美術館、ソーク研究所 とあわせて見ると、カーンの光の文法が浮かび上がります。
戦争と独立を挟んだ建設
1971年の独立戦争で工事は中断し、建設地も戦火の影響を受けました。独立後のバングラデシュは、この計画を新しい国の国会議事堂として引き継ぎます。資材も技術も限られるなかで、複雑なコンクリートの躯体を現地の人々が打ち続けました。
完成した議事堂は、いまやバングラデシュの紙幣にも描かれる国の象徴です。外国人建築家の作品が、独立国家のアイデンティティになった。この転化は、建築が国民国家に対して果たしうる役割の、もっとも幸福な例のひとつです。
チャンディガールとの対比
南アジアには、20世紀建築の二大首都計画が並んでいます。コルビュジエのチャンディガール(インド・パンジャーブ州)と、カーンのダッカです。
コルビュジエは都市全体を計画し、議事堂・高等法院・合同庁舎を広大な軸線上に配置しました。カーンは議事堂という一つの建物に、都市に匹敵する密度を注ぎ込みました。広げたコルビュジエと、深めたカーン。二人の資質の違いが、二つの首都の違いにそのまま出ています。チャンディガールの都市計画 と読み比べてみてください。
完成を見なかった建築家
カーンは1974年、インド出張の帰路、ニューヨークの駅で倒れて亡くなりました。ダッカの現場はまだ途上で、完成は9年後です。
50代まで代表作を持たなかった建築家が、最後に国家の象徴を遺した。「かつて何であったこともないものに、なろうとする」という彼の言葉どおりの結末でした。カーンの言葉と生涯は ルイス・カーンの名言と出典 にまとめています。

