「チャンディーガル都市計画」—インドに舞い降りたコンクリートの詩

「チャンディーガル都市計画」—インドに舞い降りたコンクリートの詩

ヒマラヤの麓の新都市建設

1947年の独立後、インドはパキスタンとの分離により、パンジャブ州の州都ラホールを失いました。新たな州都建設は国家の威信をかけた急務となり、初代首相ネルーは「過去の伝統に縛られない、インドの未来を象徴する新しい都市」の設計をル・コルビュジエに依頼しました。

コルビジェはこの依頼を、自身の都市計画理論を実現するまたとない機会と捉えました。ヒマラヤ山脈を望む広大な平原に、人体を模した都市構造(頭部にキャピトル・コンプレックス=行政、心臓にシティ・センター=商業、肺にレジャー・バレー=緑地、血管に7V=7段階の道路網)を計画。これは彼が長年夢見ながらも、ヨーロッパでは実現できなかった「輝く都市」の理想を、インドの大地で具現化する壮大な実験でした。

キャピトル・コンプレックスの威容

都市の北端、「頭部」にあたる行政地区(キャピトル・コンプレックス)には、「高等裁判所」「合同庁舎」「州議会議事堂」の3つの巨大建築が、広大なコンクリート広場に点在しています。これらは、コルビジェ後期のスタイルである「ブルータリズム(粗野なコンクリート表現)」の極致とも言える作品群です。

巨大な曲線の屋根を持つ高等裁判所、ピラミッドのような形をした議事堂など、それぞれの建物はまるで巨大な彫刻のように大地に鎮座しています。打放しコンクリートの荒々しい質感(ベトン・ブリュット)は、インドの強烈な太陽と風雨に耐えうる力強さを持ち、原色(赤、黄、緑)でペイントされた扉や壁面が、強烈なアクセントとして彩りを添えています。西洋の近代合理主義と、インドの土着的なエネルギーが衝突し、融合した奇跡の空間です。

日差しを制御する「ブリーズ・ソレイユ」

インドの酷暑とモンスーンに対抗するため、コルビジェは建築のファサード全体を覆う巨大な「ブリーズ・ソレイユ(日除け格子)」を開発しました。これは単なる装飾ではありません。計算された角度と深さを持つコンクリートの格子は、室内に熱い直射日光が入るのを防ぎながら、風を通し、柔らかな光だけを取り込みます。

このブリーズ・ソレイユが作り出す影(シャドウ)は、時間の経過とともに劇的に表情を変え、建築に深い陰影とリズムを与えます。コルビジェは「建築は光のもとで巧みで正確で壮麗なボリュームの戯れである」という自身の言葉を、この環境制御装置によって完璧に体現しました。機能(日除け)と美(造形)を完全に一致させた、建築的発明と言えるでしょう。

平和のシンボル「開かれた手」

キャピトル・コンプレックスの広場には、高さ26メートル、重さ50トンにも及ぶ巨大な金属製のモニュメント「開かれた手(Open Hand Monument)」が風を受けて回転しています。

「開かれた手は、与えるために、および受け取るためにある」。これは晩年のコルビジェが到達した人生哲学であり、平和と和解のシンボルです。彼自身の手のひらをモチーフにしたとも言われるこの鳥のような、手のような造形は、政治的対立や宗教的対立を超えた、人類共通の連帯と調和を訴えかけています。風見鶏のように風に従って回るその姿は、自然の力に逆らわず、共生することの重要性を象徴しているようにも見えます。

カオスと秩序が共存する現在の姿

完成から半世紀以上が経ち、チャンディーガルは「インドで最も緑豊かで、清潔で、住みやすい都市」として評価されています。コルビジェが引いた厳格なグリッド状の道路網は、今も機能的に交通を処理していますが、その中身にはインドらしい変化も起きています。

コンクリートの広場ではクリケットに興じる子供たちが走り回り、緑地帯は市民の憩いの場となり、市場はインド特有の活気とカオスで溢れています。西洋的な合理主義の枠組みの中に、インドの人々のパワフルな生活が見事に住み着いているのです。建築家の手を離れ、そこに住む人々によって使いこなされ、愛着を持たれてこそ、都市計画は完成します。チャンディーガルは、コルビジェの理想とインドの現実が幸福な結婚を果たした、稀有な例と言えるでしょう。