石を留めているボルトが、見えている
ウィーン郵便貯金局(1906年/オーストリア・ウィーン)は、オットー・ワーグナーが設計した銀行建築です。
外壁は薄い大理石の板で覆われています。当時なら、留め具は隠すのが常識でした。ワーグナーは逆のことをします。板を留めているアルミのボルトの頭を、規則正しく並べて見せたのです。
結果として、外壁には無数の金属の点が整然と並ぶ表情が生まれました。装飾を貼るのではなく、施工の方法そのものが模様になっています。
ガラスの床から光が落ちる
内部の中央ホールも重要です。
天井は湾曲したガラスで、そこから自然光が降ります。床の一部にもガラスブロックが使われ、光が下の階まで抜けていきます。
柱は細いスチール。暖房の吹き出し口も、隠さずアルミの円筒として置かれています。設備を意匠として扱うという発想が、ここにすでにあります。
「必要様式」という考え方
ワーグナーは「芸術は必要にのみ従う」という趣旨の言葉を残しています。
歴史的な様式を模倣するのではなく、用途、材料、施工法から形を導く。この態度が、のちに近代建築が掲げる原則の先取りになりました。
ワーグナーの弟子筋にはヨーゼフ・ホフマンらがいます。ホフマンは1907年、19歳のシャルル=エドゥアール・ジャンヌレ(のちのコルビュジエ)をウィーンに誘いました。ジャンヌレはこれを断り、パリへ向かいます。
もしウィーンに残っていたら
この選択は、建築史の分岐点でもあります。
ウィーンに残っていれば、ジャンヌレはワーグナー=ホフマンの系譜——素材の質と幾何学的装飾を重んじる方向——に進んだかもしれません。
実際に彼が向かったのはパリのオーギュスト・ペレの事務所でした。そこで学んだのは鉄筋コンクリートです。さらにベルリンのペーター・ベーレンス事務所を経て、機械と工業化の方向へ進みます。
装飾を洗練させる道と、装飾を捨てる道。1907年の判断が、その後を決めました。
いまも銀行として使われた建物
ウィーン郵便貯金局は長く現役の銀行建築として使われ、現在は一部が博物館として公開されています。
ボルトの並ぶ外壁、ガラスの天井、アルミの円筒。装飾が消える直前の、最も洗練された段階を実物で確認できる建築です。
コルビュジエが選んだもう一方の道を図面で確かめたい方は、下記の手描き構想図をご覧ください。
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