骨組みが、正面に出ている
フランクリン街25番地のアパート(1903年/フランス・パリ16区)は、オーギュスト・ペレが設計した集合住宅です。
外観を見ると、鉄筋コンクリートの柱と梁が格子状に現れています。その間を埋めるのは、装飾タイルとガラス。構造そのものが、そのままファサードの構成になっている。
当時、鉄筋コンクリートは工場や倉庫の材料と見なされていました。都市の集合住宅で構造を露出させたのは、きわめて新しい判断でした。
壁が荷重から解放された
この建物の意味は、外観よりも平面にあります。
柱が荷重を受け持つため、壁は好きな位置に置けるようになりました。採光のために建物中央にヴォイド(吹き抜け状の凹み)を設けることもできた。
これはのちに「自由な平面」と呼ばれる原理そのものです。コルビュジエが1914年に構想したドミノ・システム——柱とスラブと階段だけの骨組み——も、同じ考え方に立っています。
1908年、コルビュジエが働いた
コルビュジエは1908年から1909年にかけて、ペレの事務所で働きました。20歳前後のことです。
ここで彼が学んだのが鉄筋コンクリートでした。ラ・ショー=ド=フォンの美術学校で装飾を学んだ青年が、構造としての建築に出会った時期にあたります。
その後ベルリンのペーター・ベーレンス事務所を経て、コルビュジエは独自の道を歩み始めます。
20年後、師と論争になった
1920年代、二人は公開の場で対立します。窓をめぐる論争です。
コルビュジエは水平連続窓を主張しました。柱が荷重を持つのだから、壁に横一列の窓を開けられる。風景がパノラマとして入る。
ペレは縦長の窓を主張しました。人間は立っている。縦の窓のほうが、空から地面まで自然に見える。光も奥まで届く。
同じ鉄筋コンクリートの可能性から、正反対の結論が出ました。この論争は単なる意匠の好みではなく、近代建築が何を目指すのかを問うものとして研究されています。
立面図で見る
フランクリン街のアパートは、写真では「タイル張りの古い建物」に見えます。
立面図を開くと、柱と梁の格子が、どこまで正確に構造と一致しているかが読めます。平面図では、中央のヴォイドと自由に配置された間仕切りの関係が見える。
近代建築の出発点が、ここにあることは図面でしか確認できません。コルビュジエの側の水平連続窓を確かめたい方は、下記のサヴォア邸の手描き構想図をご覧ください。
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