ロースハウスは、アドルフ・ロースが1911年に完成させたウィーンの商業ビルです。場所はミヒャエル広場。ハプスブルク家の王宮の正面という、帝都でもっとも保守的な一等地に、装飾のない建物が建ちました。街は騒然となり、この建物は「眉のない家」と呼ばれることになります。
王宮の正面という最悪の立地
施主は紳士服の仕立て店ゴールドマン&ザラチュ。店舗と住居の複合ビルとして計画されました。敷地は王宮の門と向かい合う広場の角です。
ウィーンの中心部は、歴史様式の装飾で覆われた街です。そのど真ん中、しかも皇帝の窓から見える位置に、コーニスも彫刻も持たないビルを建てる。ロースが装飾否定の論客として知られていたことも相まって、着工前から注目を集めました。
「眉のない家」という悪口
完成した建物の上層階は、白い壁に窓が並ぶだけの立面です。当時のウィーンの窓には、上部に庇状の装飾(窓まぐさ飾り)を付けるのが常識でした。それが無い。
市民はこれを「眉のない家」と呼びました。顔にたとえれば、窓は目、その上の飾りは眉。眉を剃り落とした顔のようだ、という悪口です。論争は新聞をにぎわせ、工事が一時止まったと伝えられるほどでした。皇帝がこの建物を嫌ったという逸話も広く語られていますが、これは伝聞の域を出ません。
下は大理石、上は沈黙
ただし、この建物は「何もない箱」ではありません。店舗の入る下層は、緑がかった大理石とトスカナ式の円柱で仕上げられています。石の選定は贅沢で、磨かれた表面が広場の光を映します。
つまりロースは、装飾を全否定したのではなく、住み分けを主張しました。商業の階は素材の豊かさで飾る。人が住む階は沈黙する。彫り込む装飾はやめ、素材そのものに語らせる。シュタイナー邸と同じ論理が、公共の場でより大きなスケールで実行されています。シュタイナー邸 とあわせてご覧ください。
論争がロースを有名にした
ロースハウス論争は、結果としてロースの名を国際的にしました。批判の的になることで、装飾をめぐる議論が新聞の紙面に載り、建築の専門誌の外へ出た。建物そのものが、論考より強いメディアになったのです。
この構図は、後の近代建築運動が学んだ教訓のひとつです。コルビュジエが雑誌と展覧会で論争を仕掛け続けたのも、主張は建物と言葉のセットで初めて広まる、という認識があったからでした。
装飾の否定は、貧しさの推奨ではない
ロースの主張は「装飾は罪悪である」という標語で流通していますが、原題は『装飾と犯罪』であり、論じられているのは装飾に費やされる職人の労働と時間の経済です。様式の彫刻に人生を費やすことが、20世紀の文化では割に合わなくなった、という議論でした。
だからロースハウスの下層には、高価な石が惜しみなく使われています。飾りを彫るのではなく、良い素材を選ぶ。否定されたのは装飾であって、豊かさではない。この区別を落とすと、ロースも、その影響を受けた近代建築も読み違えます。標語の系譜は 建築家の名言を出典から読む に整理しています。
百年後のロースハウス
ロースハウスは現存し、ミヒャエル広場に今も建っています。周囲の歴史様式の建物と並べて見ると、当時の衝撃は薄れ、むしろ石と漆喰の落ち着いたビルに見えます。論争の的だった建物が街に馴染むまでの百年は、装飾をめぐる感覚がどれだけ動いたかの目盛りでもあります。
同時代のウィーンには、オットー・ワーグナーの ウィーン郵便貯金局 があり、装飾からの離脱を別の道筋で進めていました。世紀末ウィーンの装飾の側は ストックレー邸 をご覧ください。

