上に行くと、二つに分かれる
東京都庁舎(1991年/東京都新宿区)は、丹下健三が設計した超高層庁舎です。
第一本庁舎は48階建てで、33階から上が二つの塔に分かれます。この分岐した形は、しばしばゴシックの大聖堂——特にパリのノートルダム大聖堂の双塔——になぞらえられます。
外壁には、細かい格子状のパターンが刻まれています。電子回路や集積回路を思わせる意匠で、情報化社会の象徴として説明されてきました。
丹下は、旧都庁舎も設計していた
重要なのは、丹下健三が1957年に有楽町の旧東京都庁舎も設計していることです。
旧庁舎は、ピロティで持ち上げられた水平な箱でした。コルビュジエの語彙が明確に現れた建築です。
34年後の新庁舎は、まったく違います。垂直に伸び、歴史的な形態を引用し、装飾的なパターンを持つ。近代建築の原則から離れた場所にあります。
同じ建築家が、同じ用途の建物を、正反対の方法で設計した。この34年のあいだに何が変わったのかを考える材料になります。
コルビュジエの都市論との距離
コルビュジエの「輝く都市」では、超高層を大きく間隔をあけて配置し、地上を公園にする構想が描かれていました。建物を高くするのは、地面を空けるためです。
都庁舎も超高層で、前面に都民広場を持っています。形式としては近い。
ただし決定的な違いがあります。コルビュジエの塔は無名の板状ビルで、記念性を持ちません。都庁舎は逆に、都市の中心を視覚的に示すランドマークとして作られました。
機能から形を導くのではなく、意味から形を導く。ポストモダンの時代の判断です。
磯崎新の批評との関係
同時期、磯崎新はつくばセンタービル(1983年)で、広場の中心をあえて沈ませ、中心の不在を主題にしていました。
丹下が新宿に強い中心を作り、磯崎がつくばで中心を消す。師と弟子が、正反対の答えを出しています。
磯崎は丹下研究室の出身です。この対比は、コルビュジエ→丹下という系譜を、次の世代がどう受け取ったかを示しています。
平面図で見る
都庁舎は、写真では「大きなツインタワー」としか見えません。
平面図を開くと、33階を境に平面が二つに分割される操作が正確に読めます。断面図では、低層部・高層部・分岐部の関係と、都民広場との高さの関係がわかる。
大聖堂に似ているという印象が、具体的にどの操作から出てきたのか——図面でしか確認できません。
コルビュジエの都市構想を図面で確かめたい方は、下記の手描き構想図をご覧ください。
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