三軒長屋の真ん中を、コンクリートに置き換えた
住吉の長屋(1976年/大阪市住吉区)は、安藤忠雄の初期の代表作です。
もとは三軒つづきの長屋でした。その真ん中の一軒だけを取り壊し、コンクリートの箱に入れ替えるという工事です。間口は約3.6メートル、奥行き約14メートル。外に向かって開いた窓はほとんどなく、道路側は打放しコンクリートの壁に玄関の開口があるだけです。
中庭には屋根がない
この住宅の核心は、限られた面積の中央に屋根のない中庭を置いたことです。
1階は、玄関側の部屋・中庭・奥の台所と浴室という3つに分かれます。2階の寝室と子供室は、中庭に架けられた橋でつながっています。つまり寝室からトイレへ行くにも、雨の日は傘が必要です。
これは設計上の失敗ではなく、意図された条件でした。狭小な敷地で外部と接する方法は、上に開けるしかない。光と風と雨を、生活の中に強制的に引き込むという選択です。
コルビュジエとの接続
安藤忠雄は独学で建築を学びました。専門教育を受けず、古書店で入手したコルビュジエの作品集を繰り返し読んだと語っています。1965年には欧州を巡り、ロンシャンの礼拝堂などを訪ねました。飼っていた犬に「コルビュジエ」と名付けたことも知られています。
ただし住吉の長屋は、コルビュジエの形を真似た建築ではありません。白い箱でもピロティでもない。受け継がれたのは打放しコンクリートという素材と、光を建築の主題に据える態度です。ロンシャンの分厚い壁を抜けてくる光と、住吉の中庭から落ちる光は、扱い方が近い。
狭さを、図面で確かめる
この住宅は、写真だと実際の狭さが伝わりません。
平面図に定規を当てると、幅3.6メートルという寸法の厳しさがわかります。中庭がその3分の1を占めることも。断面図を見れば、2階の橋がどの高さに架かり、中庭の壁がどこまで立ち上がっているかが読めます。この住宅がなぜ議論を呼んだのかは、図面を見て初めて納得できます。
その後の評価
住吉の長屋は1979年に日本建築学会賞を受賞しました。当時、住みにくさをめぐって賛否が分かれた建築でもあります。
この構図は近代建築史に繰り返し現れます。サヴォア邸には施主から雨漏りの苦情が届き、ファンズワース邸は訴訟に至りました。理念を徹底するほど、日常の要求と衝突する。住吉の長屋は、その系譜に日本から加わった一例といえます。
安藤忠雄は1995年にプリツカー賞を受賞しています。
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