プールのある部屋(2008年)
写真:Ulises00/パブリックドメイン/Wikimedia Commons
ヒラルディ邸は、メキシコの建築家ルイス・バラガンが、メキシコシティの住宅地に設計した住宅です。バラガン財団の解説によれば、設計は1975年から1977年にかけて行われました。
敷地にあった1本のジャカランダの木を中心に、黄色い光に満ちた廊下と、色の満ちたプールを組み立てた家で、バラガンが最後に手がけた住宅とされています。
| 名称 | ヒラルディ邸(Casa Gilardi) |
|---|---|
| 設計 | ルイス・バラガン |
| 設計の時期 | 1975〜1977年(バラガン財団による) |
| 所在地 | メキシコシティ、チャプルテペック公園の南の住宅地 |
| 施主 | 広告の仕事をしていたフランシスコ・ヒラルディ |
| 敷地 | 間口約10m、奥行き約35m |
| 延床面積 | 約430㎡ |
| 各階 | 1階:車庫・台所・使用人の部屋・プールと食堂/2階:居間と書斎/3階:寝室 |
幅10mの敷地と、1本のジャカランダ
敷地は、間口が約10m、奥行きが約35mの細長い土地です。通りに面して、1930年代に建てられた2階建ての家が建っていました。
施主のヒラルディは、はじめは古い家の改修を考えていましたが、最終的に新しく建てることを選びます。
バラガン財団の解説によれば、独身だった彼が望んだのは、客をもてなすための部屋と、毎日泳ぐための屋内プールでした。
敷地の中ほどには、大きなジャカランダの木が立っていました。バラガンはこの木を残し、木を囲むように建物を配置しています。
当時のバラガンは仕事から離れがちで、はじめは依頼に乗り気ではなかったものの、この木を見て引き受けたと伝えられます。
通り側の棟と、敷地の奥のプールの棟。そのあいだに中庭があり、ジャカランダは中庭の東の側に立っています。
延床面積は約430㎡。通り側の棟は3層で、1階に車庫と台所、2階に居間と書斎、最上階に寝室が重ねられています。
黄色い光に満ちた廊下
通り側の棟から奥のプールへは、中庭に沿った廊下を通って向かいます。バラガンが特に力を注いだのが、この廊下の色でした。
壁と天井、そして窓のガラスまでが、明るい黄色で仕上げられています。外の光は黄色いガラスを通って入り、廊下全体を黄色い光で満たします。
財団は、中央のホールから見ると、奥のプールが黄色い光に包まれて見えると説明しています。
バラガンは、自然の光の入り方を確かめながら、工事の途中で最後の色を決めたといいます。
図面の上だけで色を決めるのではなく、現場で光と色を合わせていく。色を「光の材料」として扱うやり方が、この廊下によく表れています。
プールへ向かう黄色い廊下(2008年)
写真:Ulises00/パブリックドメイン/Wikimedia Commons
水の中に立つ赤い壁
廊下の先、敷地の奥の別棟に、屋内プールと食堂があります。
計画の途中で、施主は上の階にあった食堂をプールの隣に移してほしいと頼みました。その結果、泳ぐ場所と食事の場所が一つの部屋にまとまりました。
プールの奥の壁は鮮やかな青です。水の中から、赤い色の独立した壁が柱のように立ち上がり、天窓を隠しています。
天窓からの光は、壁と水に反射して部屋に広がります。水面がわずかに揺れるたびに、青い壁の上の光の模様も揺れます。
泳ぐための部屋でありながら、食事をし、色と光を眺める部屋でもある。機能と詩情を一つの空間に重ねたのが、この家の中心です。
ピンクの外壁と、色の役割
外壁の色も、場所ごとに決められています。財団の解説によれば、通り側と奥の棟の外壁は鮮やかなピンク、東側の塀は淡い紫、ほかの棟は白です。
バラガンの建築では、色は表面の飾りではなく、光や影、空や木とともに空間をつくる材料として扱われます。
ヒラルディ邸では、外のピンク、廊下の黄色、プールの青と赤が、歩く順序に沿って次々に現れます。
そこに、メキシコシティの春に紫の花を咲かせるジャカランダが加わります。建物の色と、木の色が一つの流れの中でつながるのです。
バラガンは造り付けの部分を設計し、家具の一部を選び、自分が持っていたコロニアル様式の衣装だんすを施主に贈りました。家全体を一つの作品として仕上げたのです。
コルビュジエの講演を聴いた建築家
バラガンは1902年にメキシコのグアダラハラで生まれ、技術者としての教育を受けました。
プリツカー賞の公式の経歴によれば、1931年にはしばらくパリに住み、ル・コルビュジエの講演に通っています。
1936年にメキシコシティへ移ると、白い壁と平らな屋根の近代建築の語法で集合住宅などを設計しました。この時期の作品には、コルビュジエの影響が指摘されています。
その後のバラガンは、厚い壁、少ない開口、強い色、水と庭へと向かいます。白い壁と横長の窓で光を均一に取り込む近代建築の5原則とは、ほぼ逆の方向です。
それでも、歩く順序に沿って光と眺めが変わっていく組み立ては、コルビュジエのいう建築的プロムナードと重ねて読むこともできます。
晩年の仕事と、自邸
バラガンは1980年にプリツカー賞を受けました。賞が始まって2人目の受賞者です。
メキシコシティにある自邸と仕事場(1948年)は、2004年に世界遺産に登録されています。ヒラルディ邸は、その自邸から遠くない住宅地にあります。
ヒラルディ邸は世界遺産の構成資産ではありませんが、バラガンの色と光の手法が凝縮した住宅として、建築を学ぶ人に繰り返し紹介されてきました。
ルイス・カーンがソーク研究所の中庭についてバラガンに意見を求めた話は、ソーク研究所の記事で紹介しています。
バラガンは1988年に亡くなりました。ヒラルディ邸は、70代になった建築家が、最後まで現場で色と光を確かめながら仕上げた家でした。
ヒラルディ邸の図面で見るところ
「ヒラルディ邸 図面」と調べる人に向けて、図面の種類ごとに見るところをまとめました。
| 配置図 | 間口約10m・奥行き約35mの敷地に、通り側の棟、中庭とジャカランダ、奥のプールの棟が並ぶ関係。 |
|---|---|
| 1階平面図 | 通り側から中庭沿いの黄色い廊下を抜け、奥のプールと食堂に至る順路。 |
| 2階・3階平面図 | 通り側の棟に重ねられた居間と書斎、寝室の位置。 |
| 断面図 | プールの上の天窓と、それを隠す赤い壁の位置。廊下と中庭の高さの関係。 |
| 立面図 | 通り側と奥の棟のピンクの外壁と、白い棟との組み合わせ。 |
バラガン財団の作品解説は、1975年9〜11月のスケッチ、1976年4月の構造の図面、1977年1〜2月の最終の図面と、日付を追って設計の過程を紹介しています。
施主のヒラルディも、いくつかの検討図に手書きのメモを残しています。施主と建築家のやりとりが、図面にそのまま残っているのです。
中南米の住宅としては、ル・コルビュジエがアルゼンチンに設計したクルチェット邸も、細長い敷地と中庭、歩く順序で読む住宅です。
訪れるには
ヒラルディ邸は個人の住宅で、見学できる時期や方法は限られます。訪れる前に、最新の案内を必ず確かめてください。
近くにある自邸「ルイス・バラガン邸と仕事場」は世界遺産で、予約制で内部を見学できます。
写真で見る色と、実際の光の中で見る色はまったく違うといわれます。
バラガンが現場で色を決めたことを思えば、その違いこそがこの家の要点なのかもしれません。

