ピロティが、太くなった
スイス学生会館(1933年/フランス・パリ)は、コルビュジエとピエール・ジャンヌレが設計した学生寮です。パリ国際大学都市のなかに建っています。
この建物で最も注目されるのがピロティです。サヴォア邸などでは細い円柱が規則的に並んでいました。ここでは違います。彫刻的にくびれた太い脚が、数本だけ立っています。
柱というより脚と呼びたくなる形です。荷重を集約して少ない支点で受ける構造で、地上はより大きく開かれます。
白い箱から離れ始めた
1920年代のコルビュジエは、白い塗装、細い柱、水平連続窓という語彙で住宅を作っていました。
スイス学生会館では、それが変わります。太い脚に加えて、階段室の外壁には粗い自然石が積まれています。白い抽象的な面ではなく、素材の質感がそのまま出ている。
これは戦後の打放しコンクリートへつながる兆しです。1930年代前半が、コルビュジエの転換期にあたることが、この建物からわかります。
南面は全面ガラス
居室が並ぶ南面は、大きなガラス面になっています。
当初は密閉されたガラスの壁で、機械換気による空調が構想されていました。しかし技術と予算の制約から完全には実現せず、夏の暑さが問題になったと記録されています。
この経験が、のちのブリーズ・ソレイユ(日除け格子)の発展につながっていきます。インドの作品で全面展開される要素の、出発点がここにありました。失敗が次の発明を生んだ例です。
ピエール・ジャンヌレとの共作
この建物は「ル・コルビュジエとピエール・ジャンヌレ」名義で発表されています。
ピエールはコルビュジエの従兄弟で、1922年から1940年まで共同で事務所を主宰していました。この時期の代表作はすべて連名です。サヴォア邸もラ・ロッシュ邸も同様です。
戦後、二人はチャンディガールで再合流します。ピエールはそのままインドに残り、現地で家具の設計も手がけました。
断面図で見る
スイス学生会館は、写真では「よくある近代建築」に見えるかもしれません。
断面図を開くと、太い脚がどこまで太く、どれだけの荷重を集めているかが読めます。平面図では、脚の本数と居室配置の関係がわかる。
「地面を空ける」という主題が、構造の集約によって強化されていることは、図面で確認できます。
同じ時期の構想を確かめたい方は、下記の手描き構想図をご覧ください。
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