パリ郊外ヌイイ=シュル=セーヌに建つジャウル邸は、ル・コルビュジエの作品のなかでも見た目の落差が大きい建物です。白い壁も、細い柱も、水平連続窓もありません。むき出しの煉瓦と、荒々しいコンクリート。1955年に完成したこの住宅は、後の世代の建築を大きく方向づけました。
サヴォア邸から25年後の答え
サヴォア邸の竣工は1931年、ジャウル邸は1955年。同じ建築家の住宅でありながら、24年の間に前提が入れ替わっています。
サヴォア邸は地面から持ち上げられた白い箱でした。ジャウル邸は地面に据えられ、素材の色がそのまま外観になっています。五原則の建築家が、五原則をほとんど使わなかったのがこの住宅です。
煉瓦とコンクリートという選択
外壁は煉瓦の現し、床と屋根は打放しコンクリート。仕上げらしい仕上げがありません。塗装で覆わず、材料の表情をそのまま見せています。
この転換は、ジャウル邸だけの現象ではありません。マルセイユのユニテ・ダビタシオン(1952年)でも、型枠の木目が残る打放しコンクリートが全面に使われました。戦後のコルビュジエは、機械的な精度より手仕事の痕跡を選んでいます。
カタロニア・ヴォールトという構法
屋根には、煉瓦を薄く積んでゆるやかなアーチをつくるヴォールトが用いられています。スペイン・カタルーニャ地方の伝統的な構法に由来するものです。
重い型枠を必要とせず、職人の手で積めるのが特徴です。鉄骨やプレキャストといった工業的な手段ではなく、地域に残っていた技術を選んだ点に、この住宅の性格が表れています。
コルビュジエは戦前にも同種の構法を検討していましたが、住宅の主要な構成として全面的に用いたのはジャウル邸が代表例です。
二棟で一組という構成
ジャウル邸は一軒の家ではありません。直交する向きに置かれた二棟で構成されています。二棟のあいだに中庭ができ、地下でつながる構成です。
大きな一つの建物にせず、小さな塊に分けて配置する。この考え方は、後年の建築家たちが繰り返し参照することになります。
施主のジャウル一家
施主はアンドレ・ジャウル。二棟はそれぞれ、施主本人の家族と息子の家族のために計画されました。親と子が同じ敷地に別棟で住むという要求が、二棟構成の出発点になっています。
サヴォア邸が週末住宅、レマン湖畔の小さな家が両親のための終の住処だったように、コルビュジエの住宅作品は施主の家族構成から形が決まることが多くありました。抽象的な理論から出発しているように見えて、実際は具体的な条件に応えています。
次の世代が受け取ったもの
ジャウル邸は、完成後まもなくイギリスの建築家たちに強い影響を与えました。素材をそのまま見せ、構造を隠さず、仕上げの洗練を求めない。この態度は1950年代以降、ブルータリズムと呼ばれる潮流につながっていきます。
日本にも波及しました。打放しコンクリートを主要な語彙とする建築家は数多く現れます。白い箱ではなく、この粗い質感のほうが世界に広まったという見方もできます。バービカン・センター や 住吉の長屋 とあわせてご覧ください。
白い箱は通過点だった
コルビュジエを「白い箱の建築家」として記憶すると、実作の半分を見落とします。ジャウル邸、ユニテ・ダビタシオン、ロンシャンの礼拝堂、ラ・トゥーレット修道院。戦後の代表作は、いずれも白くありません。
ジャウル邸が完成した1955年、コルビュジエは68歳。同じ年にロンシャンの礼拝堂も完成しています。曲線と粗い素材へ向かった時期の、住宅における到達点がこの建物です。
同時期の作品は ロンシャンの礼拝堂、ユニテ・ダビタシオン をご覧ください。初期の白い住宅との比較は サヴォア邸 が分かりやすいです。

