焼け跡を、まるごと作り直した
バービカン・センター(1982年全面開館/イギリス・ロンドン)は、チェンバリン・パウエル・アンド・ボンが設計した複合施設です。
この一帯は第二次世界大戦の空襲でほぼ完全に破壊されました。戦後、区画整理をして個別に建て直すのではなく、約16ヘクタールをひとつの計画として設計するという判断が下されます。
含まれるのは約2,000戸の住宅、コンサートホール、劇場、映画館、図書館、美術ギャラリー、音楽学校、学校。打放しコンクリートで統一されています。
ユニテの構想を、都市規模でやった
コルビュジエのユニテ・ダビタシオン(1952年)は、337戸の住宅に商店街・幼稚園・屋上庭園を組み込み、一棟のなかに生活の全体を入れることを試みた建築でした。
バービカンは、これを街区規模に拡大したものと読めます。住むこと、働くこと、学ぶこと、文化に触れることが、ひとつの連続した構造物のなかで完結する。
歩行者用のデッキが建物のあいだを立体的につなぎ、地上の車道と分離されています。歩車分離という主題も、コルビュジエの都市論から続くものです。
評価が、大きく揺れてきた
この建築の評価は、時期によって正反対に振れてきました。
完成当初から1990年代にかけては、「迷路のようで分かりにくい」「コンクリートが冷たい」という批判が強く、イギリスで最も醜い建物という投票結果が出たこともあります。
ところが2000年代以降、評価が反転します。2001年には歴史的建造物として指定され、住宅としての人気も高い。ブルータリズム再評価の中心的な存在になりました。
同じ建物が、同じ理由(巨大さ、コンクリート、複雑さ)で嫌われ、そして好まれるようになった。
なぜ評価が変わったのか
評価の反転には、いくつかの要因が指摘されています。
ひとつは実際に住んだ人の評価が高かったこと。緑の中庭、水面、静けさ、都心へのアクセス。批判の多くは外から見た印象に基づいていました。
もうひとつは、その後に建てられたものへの失望です。理念を持たない開発が続いた結果、明確な思想を持って設計された建築が見直された。
ユニテ・ダビタシオンも同じ経緯をたどっています。当初は「狂人の家」と呼ばれ、いまは世界遺産です。
断面図で見る立体都市
バービカンは、地図(平面図)だけでは理解できません。歩行者デッキ、車道、住棟、劇場が異なる高さで重なっているからです。
断面図を開くと、どの層に何があり、どこでつながっているかが読めます。人がどの高さを歩き、車がどこを通るか。
「立体都市」という構想は、断面でしか語れません。ユニテの断面を確かめたい方は、下記の手描き構想図をご覧ください。
📖 あわせて読みたい
ル・コルビュジエが人生の最晩年に辿り着いた、わずか8畳の極小世界遺産「キャバノン」と愛妻イヴォンヌとの深い愛の物語を紹介しています。


