正方形の下に、大きな屋根
白の家(1966年/東京都)は、篠原一男が設計した住宅です。
平面はほぼ正方形。その上に切妻の大屋根が架かり、内部は天井の高い一室空間になっています。壁は白く塗られ、床は板張り。
そしてその空間の中央に、太い円柱が一本立っています。
その柱は、何のためにあるのか
この柱をめぐる議論が、この住宅を有名にしました。
構造上、まったく不要というわけではありません。しかしこの位置に、この太さで、この存在感で立てる必然性は、構造からは説明しきれないと論じられてきました。
近代建築の原則からすれば、柱は荷重を伝えるための要素です。コルビュジエの「自由な平面」も、柱が荷重を受け持つから壁が自由になるという合理から出発しています。
篠原の柱は、その論理の外にあります。空間に緊張を与えるために、そこに立っている。
「住宅は芸術である」
篠原一男は「住宅は芸術である」と宣言しました。
これは当時の日本建築界への挑戦でした。戦後の建築は、住宅難の解決、量産、機能の合理化を課題としていました。コルビュジエの「住宅は住むための機械である」を出発点とする流れです。
篠原はそこに正面から異を唱えます。住宅は社会問題を解く手段ではなく、それ自体が表現であると。
ただし注意が必要です。篠原は装飾に戻ったのではありません。極度に切り詰めた形式のなかで、機能を超えた何かを立てようとしました。
コルビュジエとの関係をどう見るか
篠原は「反コルビュジエ」と単純に位置づけられることがありますが、実際はもう少し複雑です。
白い壁、抽象的な幾何学、装飾の排除——形式のレベルでは、篠原は明らかに近代建築の語彙を使っています。そのうえで、機能主義という説明の枠組みだけを拒否した。
コルビュジエ自身も、晩年のロンシャンでは合理主義から離れた造形へ向かいました。ジェームズ・スターリングが1956年に「合理性の危機」と評したのは、まさにその点です。
篠原の柱は、その危機の日本における一つの現れとも読めます。
平面図と断面図で見る
白の家は、写真では「白い壁と柱のある部屋」に見えます。
平面図を開くと、柱が正方形平面のどの位置に立っているかが正確にわかります。中心なのか、少しずれているのか。断面図では、大屋根の勾配と天井高、柱の太さの関係が読める。
「なぜこの柱が問題になるのか」は、図面で位置と寸法を確認して初めて理解できます。
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