東方への旅|23歳のコルビュジエが見たものと持ち帰ったもの

東方への旅の行程をたどる

1911年、23歳の青年が半年をかけて東欧からトルコ、ギリシャ、イタリアを旅しました。名前はシャルル=エドゥアール・ジャンヌレ。ル・コルビュジエと名乗る9年前のことです。この旅で描いたスケッチと書き留めた手記が、後の建築のほとんどすべての出発点になりました。

ル・コルビュジエになる前の旅

ジャンヌレはスイスのラ・ショー=ド=フォンに生まれ、地元の美術学校で装飾美術を学びました。建築の正規教育は受けていません。20代前半にウィーン、パリ、ベルリンで働きます。パリではオーギュスト・ペレの事務所で鉄筋コンクリートを、ベルリンではペーター・ベーレンスのもとで工業デザインを学びました。

その修業の締めくくりが、この旅でした。友人のアウグスト・クリプシュタインと連れ立ち、鉄道と船と徒歩で東へ向かいます。目的は、実物を見ることでした。

行程はドイツから東へ向かった

旅程はおおむね、ドイツからプラハ、ウィーン、ブダペストを経てバルカン半島を南下し、ブカレスト、イスタンブール、そしてギリシャのアトス山とアテネ、最後にイタリア南部から北上して帰郷する、という経路をたどりました。

東方への旅の行程を示した解説ダイアグラム

重要なのは、この行程が当時の建築教育の王道から外れていたことです。パリのエコール・デ・ボザールで学ぶ学生なら、ローマへ向かい古典建築を測量したはずです。ジャンヌレはローマではなく、東の民家と修道院を見に行きました。

イスタンブールで見た白い量塊

旅の前半で長く滞在したのがイスタンブールです。彼はモスクのドームと、密集する木造家屋の街並みを繰り返しスケッチしました。

特に注目したのは、白く塗られた壁面が光を受けて立体として見える現象です。装飾ではなく、光と影が形をつくる。後に『建築をめざして』で「建築とは、光のもとに集められた立体の、巧みで正確で壮麗な戯れである」と書くことになる認識の芽が、ここにあります。

アトス山の修道院という原型

ギリシャ北部のアトス山は、正教会の修道院が集まる自治区です。ジャンヌレはここで数週間を過ごしました。

彼が見たのは、個室が並び、共同の空間が中心にあるという構成でした。修道士は一人で祈り、食事は共にする。この個と共同の組み合わせは、後のユニテ・ダビタシオンの原理そのものです。ユニテ・ダビタシオン をご覧ください。

パルテノンの前で過ごした三週間

アテネでは、アクロポリスに通い詰めました。手記には、パルテノン神殿を前にした衝撃が繰り返し書かれています。

ここで彼が読み取ったのは、装飾の美しさではなく比例の厳密さでした。柱の太さ、間隔、傾き。数値によって統御された形。この経験が、後年のモデュロールという寸法体系の発想につながっていきます。

『建築をめざして』には、パルテノンと自動車を並べた有名な図版があります。時代も用途も違う二つを並べ、どちらも目的に向かって形が磨かれた例として提示したものです。この並置の出発点が、1911年のアクロポリスにあります。

カルトジオ会修道院と個室の発見

旅の終盤、イタリア・トスカーナのエマの修道院(カルトジオ会)を訪れています。実はジャンヌレはこの修道院を1907年にも訪れており、二度目の訪問でした。

カルトジオ会の修道院では、修道士がそれぞれ小さな庭付きの個室を持ちます。孤独と共同が両立する住まいの形。彼はここに「理想の住居」を見たと後年繰り返し語りました。

この構成は、生涯にわたって反復されます。ユニテ・ダビタシオンの住戸、ラ・トゥーレット修道院の個室、そして最後に自分自身のために建てた約8畳の小屋。カップ・マルタンの休暇小屋カバノンの最小限主義 をご覧ください。

旅は本になるまでに54年かかった

ジャンヌレはこの旅の手記を、当時から出版するつもりで書いていました。しかし刊行されたのは1966年、彼が亡くなった翌年です。執筆から刊行まで54年かかりました。

晩年、彼は原稿に手を入れ直しています。人生の最後に、23歳の自分の文章へ戻っていったことになります。この事実だけでも、この旅が彼にとってどれほどの重さを持っていたかが分かります。

スケッチが設計に変わるまで

コルビュジエは生涯、写真ではなくスケッチで記録することにこだわりました。カメラで撮れば一瞬で済むものを、時間をかけて描く。その理由を彼は、描くことでしか見えないものがあるからという趣旨で説明しています。

1911年の旅で描かれた大量のスケッチは、その方法の原点です。見たものを手で追い、寸法を測り、断面を推測する。この作業を経たものだけが、後に設計として出てきました。

なお、この旅の50年以上あとに、日本の若い建築家がほぼ同じことをしています。1965年、24歳の安藤忠雄がシベリア鉄道でヨーロッパへ向かいました。安藤忠雄の名言と出典 をご覧ください。

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