急勾配の屋根に、モミの木の模様
ファレ邸(1905年/スイス・ラ・ショー=ド=フォン)は、シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ——のちのル・コルビュジエ——が17歳のときに設計した住宅です。
外観は、後年の彼からは想像しにくいものです。急勾配の大きな屋根、深い軒、木部の露出。壁面にはモミの木をモチーフにした幾何学的な装飾が描かれています。
ラ・ショー=ド=フォンはジュラ山脈の谷にある時計産業の町です。雪が多く、周囲はモミの森。その土地から形と模様を導いた住宅でした。
師が仕事を取ってきた
この依頼は、シャルル・レプラトニエが仲介したものです。
レプラトニエは地元の美術学校の教師で、ジャンヌレに時計の彫金ではなく建築をやれと勧めた人物です。地域の自然をモチーフにした独自の装飾様式——「サパン(モミ)様式」——を提唱していました。
ファレ邸の装飾は、この教えの実践です。17歳の生徒に、実際の住宅を設計させたという点でも異例でした。
装飾から始まって、装飾を否定した
ここに、この住宅を取り上げる理由があります。
のちにコルビュジエは、装飾を徹底して否定します。アドルフ・ロースの「装飾と犯罪」を『レスプリ・ヌーヴォー』でフランス語訳して広め、白い壁の住宅を次々と発表しました。
その人物が、キャリアの出発点では装飾を手で描いていた。
装飾を知らずに否定したのではなく、装飾を実際に作ったうえで、そこから離れたということです。この順序は、彼の主張の性質を理解するうえで重要です。
この家の報酬で、旅に出た
ファレ邸を含む初期の仕事で得た報酬が、その後の旅の資金になりました。
1907年にイタリア、1911年には「東方への旅」——バルカン半島、イスタンブール、ギリシャ、イタリアを巡る約5か月の旅です。写真ではなくスケッチで記録し続けました。
この旅で見たパルテノン神殿やハギア・ソフィア、修道院が、後年の建築の下地になります。17歳の装飾住宅が、旅の費用を生み、旅が思想を作った。
いまも建っている
ファレ邸は現在も個人住宅として使われており、内部の公開はされていません。外観は道路から見ることができます。
ラ・ショー=ド=フォンには、ジャクメ邸、ストッツェル邸、両親のために建てたメゾン・ブランシュ、そしてシュウォブ邸など、初期の作品が複数残っています。装飾から抽象へ移っていく過程を、同じ町で辿ることができます。
その先にある成熟した線を手元で見たい方は、下記の手描き構想図をご覧ください。
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