ロックフェラーセンターとは|コルビュジエが見たニューヨーク

「摩天楼は大きすぎるのではない、小さすぎるのだ」

街区まるごとを、一度に開発した

ロックフェラーセンター(1930年代/アメリカ・ニューヨーク)は、複数の高層ビルと広場、地下通路からなる複合施設です。

それまでの摩天楼は、狭い敷地に一棟ずつ建てられていました。ここでは複数街区をまとめて計画し、建物のあいだに広場と歩行者空間を確保しています。低層部を後退させ、地下に商業空間を通した。

単体の建築ではなく都市の一区画を設計するという発想が、大規模に実行された初期の例です。

1935年、コルビュジエがアメリカに渡った

コルビュジエは1935年、初めてアメリカを訪れます。ニューヨーク近代美術館での展覧会と講演旅行のためでした。

この旅の記録が『大聖堂が白かったとき』(1937年)です。副題には「臆病者の国への旅」とあります。

そこでの摩天楼への評価は、単純な賞賛でも否定でもありませんでした。「摩天楼は大きすぎるのではない、小さすぎるのだ」という趣旨の言葉が有名です。彼が問題にしたのは高さではなく、建物が密集しすぎて地上に光も緑も残っていないことでした。

「輝く都市」との関係

コルビュジエが構想していた都市像は、もっと高く、もっと少なく、もっと離して建てるというものでした。

1930年代の「輝く都市」では、超高層を大きく間隔をあけて配置し、地上の大部分を公園にする案が描かれています。建物を高くするのは、地面を空けるためでした。ピロティの発想と同じです。

ニューヨークの摩天楼は高いけれども密集していて、地上が暗い。「中途半端に高い」から批判したというのが、彼の論理でした。

ただし、評価は分かれている

コルビュジエの都市論は、その後さまざまな批判を受けました。

ジェイン・ジェイコブズは『アメリカ大都市の死と生』(1961年)で、機能を分離し建物を離して配置する計画が街路の生活を破壊すると論じました。実際、この方式で建てられた戦後の団地の多くは失敗したと評価されています。

一方でロックフェラーセンターは、密度を保ったまま歩行者空間を確保した例として、いまも高く評価されています。どちらが正しかったのかは、いまも決着していません。

輝く都市の断面 高層化によって空けられた地面

図面で見る都市計画

コルビュジエの都市計画案は、平面図だけを見ると機能を色分けした図に見えます。

しかし断面図を見ると、建物を高くして地面を空けるという操作が明確に現れます。歩行者と自動車をどの高さに分けるか。緑をどこに置くか。

都市計画も、断面で考えられていた——このことは図面でしか確認できません。

図面を手元に置く

美術館公式グッズ

復刻された手描き構想図の額絵用アートポスターです。住宅・集合住宅・宗教建築の3点を並べて飾ると、コルビュジエが手がけた領域の広さが一望できます。

ユニテ・ダビタシオンの図面

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