骨も内臓も、外に出ている
ポンピドゥー・センター(1977年/フランス・パリ)は、レンゾ・ピアノとリチャード・ロジャースが設計した文化施設です。
外観を見ると、鉄骨のトラス、換気ダクト、配管、エスカレーターがすべて建物の外側に露出しています。色分けもされている。青は空調、緑は水、黄は電気、赤は動線。
なぜこうしたのか。内部を柱のない広大な空間にするためです。構造と設備を外に出せば、中は何もない床だけになる。展示の仕方を自由に変えられます。
審査員長が、無名の若手を選んだ
1971年、この施設の設計者を決める国際コンペが開かれました。応募は681案。
審査員長を務めたのがジャン・プルーヴェでした。建築家の資格を持たず、生涯「コンストラクター(構築者)」を名乗った人物です。折り曲げた鉄板による構法で、家具から工業化住宅までを手がけていました。
選ばれたのは、当時ほぼ無名だったピアノとロジャースの案です。構造も設備も隠さずに見せるという、当時としては異様な提案でした。
プルーヴェがこれを通したのは偶然ではないでしょう。溶接跡や板の折り目を隠さずに見せてきた彼自身の仕事の延長線上に、この判断があります。
コルビュジエとの距離
プルーヴェとコルビュジエの間に、師弟のような直接の関係はありません。
両者をつないでいたのはシャルロット・ペリアンです。コルビュジエのアトリエで家具部門を率いた彼女は、独立後もプルーヴェの工房と長く協働しました。パリ国際大学都市メキシコ館の本棚は、ペリアンが設計しプルーヴェが製作したものです。
コルビュジエとプルーヴェは、競合しつつ協働する同時代人でした。そして二人とも、同じ問題に取り組んでいます。住宅をどう工業的に量産するか。コルビュジエは図面と理論から、プルーヴェは製造の側から。
ドミノ・システムとの関係
「構造を単純化して、内部を自由にする」という発想は、コルビュジエが1914年に構想したドミノ・システムにすでにありました。
柱とスラブと階段だけの骨組みを示し、壁の配置は自由でよいとする図式です。この考えが「自由な平面」につながりました。
ポンピドゥー・センターは、これを極端まで押し進めたものと読めます。柱すら室内から追い出し、階段も外に出す。残ったのは本当に床だけです。
断面図を並べると、ドミノからポンピドゥーへの60年の距離が測れます。
いま何が起きているか
ポンピドゥー・センターは開館以来、当初の想定を大きく超える来館者を集めてきました。「文化の工場」という構想は、実際に機能したといえます。
一方で、露出した設備は劣化しやすく、大規模な改修が繰り返されてきました。見せることと、保つこと——ハイテク建築が抱える課題も、この建物が最初に引き受けました。
コルビュジエの側の構造の考え方を図面で確かめたい方は、下記の手描き構想図をご覧ください。
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