「コルビュジエの手紙」—母への甘えと世界への怒り

「コルビュジエの手紙」—母への甘えと世界への怒り

100歳まで生きた母マリーへの愛と依存

ル・コルビュジエの人生において、最も影響力があり、かつ支配的な存在だったのは、間違いなく母マリー・シャルロット・アメリーでした。彼女はスイスの時計職人の家庭に生まれ、ピアノ教師をしていました。コルビジェの芸術的な感性は彼女から受け継いだものです。彼は世界中どこへ行っても、まるで義務のように、毎週欠かさず母に手紙を書きました。

その期間は彼女が1960年に100歳で亡くなるまで続きました。「僕の愛しいお母さん」「最愛のママ」。手紙の中で繰り返される言葉は、世界的な巨匠のものとは思えないほど、幼児的で甘えたものでした。心理学者たちは、ここに強烈な「マザーコンプレックス」を見て取ります。彼は母の愛を勝ち取るために、偉大な建築家になり続けなければならなかったのかもしれません。

「世界中から非難される可哀想な僕」

母への手紙の定番は、「世間への愚痴」と「成功の自慢」でした。「みんなが僕の才能を嫉妬して足を引っ張る」「審査員は無能な馬鹿ばかりだ」。彼は外では自信満々の闘士として振る舞い、議論で相手をやり込めましたが、母に対してだけは、傷つきやすく、承認を求める弱気な少年に戻りました。

「世界中が敵でも、お母さんだけは僕の味方だよね?」。そんな確認作業を、彼は老齢になっても続けていたのです。母は彼にとって、ありのままの自分(弱さを含めた)をさらけ出せる唯一の避難所(シェルター)だったのでしょう。

クライアントへの攻撃的な手紙:ジキルとハイド

一方、仕事相手に対する手紙は、母へのそれとは正反対の攻撃性に満ちていました。彼は自分の設計意図を理解しないクライアントや施工業者に対し、容赦ない罵倒や皮肉を込めた長文の手紙を送りつけました。「私の指示通りにやらないなら、即刻辞任する」「君たちは美というものを全く理解していない」。

彼の完璧主義と短気さは、多くのトラブルを生みましたが、同時に妥協を許さない姿勢が傑作を生む原動力でもありました。この「母への甘え」と「他者への攻撃」という極端な二面性は、彼の精神的なバランスを保つための補完関係にあったのかもしれません。

「レマン湖の小さな家」:建築によるラブレター

彼が両親(後に母が一人で居住)のために設計した「レマン湖の小さな家(母の家)」は、手紙以上に雄弁な愛の証です。わずか60平米の極小住宅ですが、高齢の母が動きやすい回遊動線、座ったまま湖の景色を楽しめる横長の窓、愛犬のための見晴らし台など、細部にわたって母への配慮がなされています。

彼はこの家を作ることで、物理的にも精神的にも母を守ろうとしました。父が亡くなった後、母はこの家で30年以上暮らしましたが、コルビジェはその間もずっと、この家がいかに機能的で素晴らしいかを母に説く手紙を送り続けました。それはまるで「僕の作った家で幸せだと言ってほしい」と懇願しているかのようです。

天才の孤独と人間らしさ

コルビジェの手紙を読むと、彼の中にある「人間臭い弱さ」が浮かび上がってきます。偉大な革命家も、一人の息子であり、承認欲求に飢えた人間でした。彼は繊細すぎるがゆえに、攻撃的にならざるを得ず、孤独を埋めるために母への手紙を書き続けました。

しかし、その個人的な感情やコンプレックスさえも創造のエネルギーに変えてしまったところに、彼の天才性があります。彼が残した膨大な手紙は、建築作品の図面と同じくらい、彼の魂の構造を解き明かす重要な鍵となっているのです。