傑作住宅 「E.1027」
南フランスのカップ・マルタンに建つ白い別荘「E.1027」。これはアイルランド出身の女性デザイナー、アイリーン・グレイが1929年に完成させた、彼女の処女作にして最高傑作です。EはEileen、10はJ(Jean
Badovici)、2はB(Badovici)、7はG(Gray)という、彼女と当時の恋人ジャン・バドヴィッチのイニシャルを暗号のように組み合わせた名前が付けられています。
コルビジェの「近代建築の五原則」を体現しつつも、より繊細で、住む人の身体や感覚に寄り添ったこの住宅は、男性的な機能主義とは一線を画す「フェミニンなモダニズム」の極致でした。この住宅の完成度の高さは、コルビジェ自身を驚愕させ、同時に強い嫉妬を抱かせたと言われています。「私が建てたかったのは、まさにこれだ」と彼は内心思ったに違いありません。
なぜコルビジェは無断で壁画を描いたのか
1938年、グレイと別れたバドヴィッチの招きで滞在していたコルビジェは、グレイが留守の間に、このE.1027の真っ白な壁に、許可なく8つの鮮やかな壁画を描いてしまいました。しかも彼は全裸で描いたとも伝えられています。
彼は「殺風景な壁に生気を与えた」と主張しましたが、グレイの意図した静謐でミニマルな空間美は、コルビジェの強烈な色彩とキュビズム的な絵画によって上書きされ、破壊されてしまいました。グレイの建築は「家具と建築の融合」を目指した繊細なものでしたが、コルビジェの壁画はその調和を乱暴に引き裂くような、あまりにも自己主張の強い「異物」だったのです。
グレイの激怒と「建築的侵害」
これを知ったグレイは激怒し、二度とこの家に戻ることはありませんでした。彼女にとって、完璧に調和していた自分の作品(子供のような存在)を、土足で踏み荒らされたも同然だったからです。批評家たちは後にこの行為を「建築的侵害」や「テリトリーの主張(マーキング)」と呼びました。
男性中心の建築界において、稀有な才能を持つ女性建築家への、無意識のマウンティングだったという見方も強いです。当時の建築界では女性の地位は低く、コルビジェのこの行為は、才能ある女性に対する男性権力者の傲慢さを象徴する出来事として、現在でもフェミニズムの文脈で語り継がれています。
嫉妬か、称賛か、所有欲か
しかし、コルビジェの心理は複雑でした。彼はただ嫌がらせをしたかったわけではありません。彼はE.1027を心から愛し、認め、強烈に執着していました。「素晴らしい作品だからこそ、自分の痕跡を残したかった」とも考えられます。歪んだ愛情表現であり、自分よりも優れた(かもしれない)才能への強烈なライバル心の裏返しでもありました。
戦後、この家が売りに出された際、彼は壁画が塗りつぶされないように奔走し、さらには「私が壁画を描いたことで、この家の価値は上がった」と豪語しました。愛憎入り混じるこの行動は、天才特有の複雑怪奇な心理を映し出しています。
カップ・マルタンの皮肉な結末と修復
さらに奇妙なことに、コルビジェはE.1027を見下ろすことのできるすぐ隣の敷地に、自分のための小さな小屋(カバノン)を建て、毎夏をそこで過ごすようになりました。毎日、愛憎の対象であるE.1027を眺めて暮らしたのです。そして1965年、彼はE.1027の目の前の海で遊泳中に心臓発作を起こし、息を引き取ります。
長い間廃墟同然となっていたE.1027ですが、近年ようやく大規模な修復が行われ、一般公開されるようになりました。そこには、グレイの設計したオリジナルの家具と共に、コルビジェの壁画も(歴史の証人として)保存されています。二人の天才の魂は、今もこの白亜の別荘の中で、永遠に対話を続けているのかもしれません。
二人のデザイン哲学の対立:合理性と情緒の葛藤
この壁画スキャンダルの背後には、二人の深いデザイン哲学の対立がありました。コルビジェがドミノシステムや規格化によって建築の物理的ルールを世界に提示したのに対し、グレイは家具の間取りやテクスチャーを通じて、人間の「精神的な心地よさ」を追求しました。ル・コルビュジエは、グレイが提唱した人間主義的なアプローチを認めつつも、自身の白い壁画による対話(あるいは支配)を試みたのです。コルビジェとグレイの論争は、モダニズム建築の多様性を示す貴重な歴史です。コルビジェの葛藤が見えます。
現代におけるアイリーン・グレイの再評価
長年、E.1027の壁画の存在によってコルビジェの関与ばかりが強調されてきましたが、現代においてアイリーン・グレイの独創的な才能は完全に再評価され、彼女はモダンデザインの先駆者として歴史に刻まれています。ル・コルビュジエという巨人の陰に隠れることなく、彼女が遺した繊細なデザインと空間の調和は、今も世界中のデザイナーを刺激し続けています。コルビジェとの出会いと対立の物語は、完璧さだけではない建築のドラマを私たちに教えてくれます。コルビジェの歴史にアイリーン・グレイは欠かせません。
E-1027という名前に隠された暗号
この住宅の名前は、記号の羅列に見えて、実は二人の名前を組み合わせた暗号です。
E は Eileen(アイリーン)の頭文字。続く数字はアルファベットの順番に対応します。10 は10番目の J(Jean=ジャン)、2 は2番目の B(Badovici=バドヴィッチ)、7 は7番目の G(Gray=グレイ)。
つまり E-1027 = Eileen(E)が、Jean Badovici(10・2)を、Gray(7)が包み込むという構成です。アイリーン・グレイと、当時のパートナーであった建築批評家ジャン・バドヴィッチ。二人の名前が絡み合う形で刻まれています。
住宅の名前に個人名を暗号として埋め込むという発想自体が、この建物の性格を示しています。これは作品であると同時に、極めて私的な記録でもありました。後の壁画事件が単なる著作権の問題にとどまらないのは、この前提があるからです。
建物そのものはどういう住宅か
E-1027は1926年から1929年にかけて、南フランスのロクブリュヌ=カップ=マルタンの斜面に建てられました。海を望む白い箱で、細い柱で持ち上げられ、水平の帯状の窓を持ちます。語彙としては、当時コルビュジエが提唱していた近代建築の五原則に近いものです。
ところが内部に入ると、性格がまったく違います。グレイは家具デザイナーとして出発した人で、この住宅のために家具を一点ずつ設計しました。壁に折り込める棚、角度を変えられる照明、そして高さを調整できる円形の「E-1027テーブル」。すべて、使う人の身体の動きから寸法が決まっています。
ベッドで朝食をとる人のために天板の高さが変わる。この設計思想は、標準寸法から出発するコルビュジエのモデュロールとは出発点が逆です。同じ白い箱に見えて、中身の論理が正反対だった。この対比が、二人の対立の底にあります。
グレイ自身の言葉については アイリーン・グレイの名言と出典|E-1027を建てた女性の言葉 をご覧ください。
グレイはすでにこの家を去っていた
見落とされがちな事実があります。コルビュジエが壁画を描いた1938年から1939年の時点で、グレイはすでにE-1027に住んでいませんでした。
バドヴィッチとの関係が終わったあと、彼女はこの家を離れ、近隣の別の場所に自邸を建てて移っています。E-1027に残ったのはバドヴィッチのほうでした。コルビュジエはバドヴィッチと親交があり、この家を訪れる立場にありました。
つまり事件は、設計者が不在の家で、家主の友人が壁に絵を描いたという構図です。法的な所有と、設計者としての作者性が食い違う場所で起きました。グレイの抗議が「所有者の許可があったかどうか」では収まらないのは、そのためです。
そしてコルビュジエは1952年、この住宅のすぐ隣に自分の小屋を建てます。カップ・マルタンの休暇小屋(カバノン) です。1965年8月、彼はこの海岸で亡くなりました。
現在のE-1027と見学
E-1027は長く荒廃していましたが、修復事業を経て公開されています。カバノンと同じ敷地の一角にあり、両方をあわせて回るガイドツアーの形で見学できます。事前予約が必要です。
コルビュジエが描いた壁画も、議論を残したまま保存されています。取り除けば作者性の回復になりますが、それ自体が歴史の一部でもある。どちらの立場をとっても何かを失うという状態が、そのまま現地に置かれています。
運営期間や予約方法は季節によって変わります。訪問を計画される場合は 見学予約と現地のアクセス方法 で経路を確認のうえ、最新情報をご確認ください。

