「コルビュジエの本棚」—建築家が読んだ100冊と出版戦略

「コルビュジエの本棚」—建築家が読んだ100冊と出版戦略

ニーチェから学んだ「超人」への憧れ

若き日のコルビジェ(当時はシャルル=エドゥアール・ジャンヌレ)は、貪欲な読書家でした。中でも彼の人格形成に決定的な影響を与えたのは、フリードリヒ・ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』です。

既存の古い価値観や道徳を破壊し、孤独に耐えながら、自らの意思で新たな価値を創造する「超人」思想。これは彼自身の生き方の指針そのものとなりました。彼は常に自分を、愚かな大衆には理解されない「孤独な預言者」として演出し、旧態依然としたアカデミズムや社会通念と闘う建築家としてのアイデンティティを、ニーチェの力強い言葉から構築していったのです。彼の建築理論の根底にあるエリート主義やヒロイズムは、この読書体験に端を発しています。

ドン・キホーテと自分を重ねて

セルバンテスの名作『ドン・キホーテ』も、彼が特別視し、生涯愛読した一冊です。巨大な風車を邪悪な巨人だと思い込んで突撃する騎士。一見滑稽ですが、自分の理想(妄想に近いほどの夢)を信じて疑わない純粋な魂の象徴でもあります。

コルビジェは、保守的な建築界や官僚主義という巨大な「風車」に、新しい建築理論という「槍」を持って立ち向かう自分自身を、ドン・キホーテと重ね合わせていました。彼はアトリエで、忠実な弟子たちのことを「サンチョ・パンサ(従者)」と呼び、困難なプロジェクトに挑む際も、この物語の主人公のような楽天的な冒険心を持ち続けました。この本は、彼にとっての精神安定剤であり、勇気の書だったのです。

雑誌『エスプリ・ヌーヴォー』での扇動

彼が真に天才的だったのは、建築を作る前に「メディアを作った」ことです。1920年、彼は画家オザンファンらと共に、雑誌『エスプリ・ヌーヴォー(新精神)』を創刊しました。この雑誌は、建築だけでなく、絵画、文学、科学、工業製品など、あらゆる分野の「新しい精神」を紹介する総合芸術誌でした。

ここで彼は本名のジャンヌレではなく、「ル・コルビュジエ」というペンネームを初めて使い、過激な論調で過去の様式建築(デコレーション)を攻撃し、ドミノシステムや量産住宅の必要性を大々的に宣伝しました。彼は現代で言うところのインフルエンサーであり、オウンドメディアを駆使して世論を形成し、自身のブランド価値を高める天才的なマーケターの先駆けでした。

ベストセラー『建築をめざして』の正体

1923年に出版された『建築をめざして(Vers une architecture)』は、20世紀で最も影響力のある建築書となりました。しかしその中身は、学術的な論文集ではありません。雑誌『エスプリ・ヌーヴォー』に掲載した記事の再編集版であり、「住宅は住むための機械である」といったキャッチーなスローガンと、パルテノン神殿とスポーツカー、豪華客船を並べて比較するような、衝撃的なビジュアルエディティング満載の「アジテーション・ブック(扇動の書)」でした。

彼は、建築の専門家だけでなく、一般大衆や実業家に向けて言葉を放ちました。難しい理論ではなく、感情と視覚に訴えかける「マニフェスト(宣言書)」として本をデザインしたのです。この本によって、無名だった彼の名前は一夜にして世界中に轟きました。

「本を出す建築家」という職能の発明

コルビジェは生涯で50冊以上の本を出版しました。これほど多くの本を書いた建築家は、歴史上彼以前には存在しません。彼は気づいていました。建物は一箇所にしか建たないが、本は翻訳され、国境を越え、時代を超えて世界中に届くということを。

自身の作品集(全集)を自ら編集・デザインし、定期的に出版するというスタイル(現在では当たり前のポートフォリオ戦略)を確立したのも彼です。「建築家は建てるだけでなく、書くことで歴史を作る」。実作と同じくらい、あるいはそれ以上に「言葉」と「出版」を武器にして、彼は20世紀の建築概念を書き換えてしまったのです。これこそが、彼が発明した最大の仕事術かもしれません。